虎を得んとすれば
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
白い花びらが海の上に無数に落ちる。木綿の服を着た朝鮮の兵士たちは敵の銃に撃たれ城郭の下に落ちた。西欧の虎に立ち向かった兵士たちの手にはろくな武器すらなかった。頭の上を銃弾が雨あられのように飛んでいくが、旧式の銃に火薬を詰め込むのに忙しかった。彼らの兵器は古く、敵の攻撃は猛烈だった。兵士たちは体一つで侵略者たちに立ち向かった。石ころを投げつけ、土の粉をつかんで敵の顔にまき散らした。1871年の辛未洋擾(米艦隊による江華島襲撃事件)の時、江華島の草芝鎮で起こった壮絶な戦闘の光景だ。勇敢に戦った兵士たちは朝鮮全土から招集された虎の猟師たちだった。祖国の召請を受けて駆け付けた彼らは江華で一房の花となって散った。
当時、参戦したある米軍の少佐は壮烈に戦死する朝鮮軍の姿を見て、こんな文を残した。「彼らは旧式の銃を撃って銃弾がなくなると石を投げ、石がなくなると大声で叫んだ。朝鮮軍は決死的に戦い、恐れの色も見せず陣地を死守して死んでいった。私は家族と国家のためにこれより壮烈に戦った兵士たちを二度と見ることはないだろう」
同族が殺し合った韓国動乱でも多くの“虎の猟師”たちが祖国に命をささげた。戦争の初日、韓国軍は春川付近で南進する“人民軍の虎”に出会った。生まれて初めて見る戦車だった。将兵たちは対戦車砲で攻撃したがビクともしなかった。将兵たちは恐れも、退きもしなかった。火炎瓶を胸に抱いて“虎”に向かって突進。うなりを立てて進撃していた戦車は車輪の軸に火が付いて停止した。
国難の時期に“虎”に立ち向かう人は、ひきょうな指導者でなく、一介の名もなき兵士だった。江華島で朝鮮軍の激烈な抵抗に遭った米海軍は結局、船を回頭させるしかなかった。韓国動乱当時、漢江の塹壕(ざんごう)を守っていたある韓国軍の兵士は、「君はいつまでその壕を守るのか」というマッカーサー将軍の問い掛けに、このように叫んだ。「私の上官が撤収しろという命令を下す時まで、ここを守ります」
(虎を得ようと)虎穴(既成政党の民主党)に入った安哲秀氏が一昨日、再・補欠選挙敗北の責任を取って野党の代表を辞任した。彼の本当の敗因は恐らく騎虎の勢いで戦いを躊躇(ちゅうちょ)した勇気のなさではないだろうか。虎を得ようとすれば、危険をいとわずその背から下りるべきではないか。それは政治家・安氏だけの問題ではない。韓半島の内外は猛獣がうようよする危険地帯だ。国家の指導者が危険に立ち向かわなければ国民が危険になる。
(8月2日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。