産児制限の“韓流”
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
明心寶鑑(高麗時代に作られた中国古典の金言名句集)に「地不生無名之草、天不生無祿之人」という句がある。「地は名のない草を生まず、天は食べるものがない人を出さない」という意味だ。「人は、自分の食器はもって生まれる」という言葉とも一脈通じる。
多産を好むのは洋の東西を問わず共通の文化だった。中国の君主、康熙帝の子供への欲望は格別だ。7歳で帝位に就いて61年間、清を統治した康熙帝は30人の夫人に56人の子を産ませた。乳児期に死んだ子まで含めると100人を超えるという。彼は、子供たち全員の名前ぐらいは知っていたのだろうか。
子供を一番多く産んだ母親は誰だろうか。ロシアのヒョードル・バシリエフ(1707~82)の妻だ。40年間に27回にわたって69人の子を産んだ。双子が16回、三つ子が7回、四つ子が4回もあった。1年に1・7人ずつ出産した計算だ。祝福だったのか、それとも不幸だったのかは分からない。
英国の経済学者マルサスは1789年、著書『人口論』で多産の危険性を警告した。人口は幾何級数的に増えるが食糧はそうではないため、結局、貧困と犯罪の原因になるといった。第2次大戦直後に始動がかかった世界各国の出産抑制策は彼の主張に共感した結果と見ることができよう。
わが国ほど産児制限政策を強く推進した国も珍しい。「3人の子供を3歳違いで、35歳までに出産を終えよう」(1960年代)、「1人ずつ産んでも三千里(韓半島)は超満員」(1980年代)。低出産を強調したスローガンが路地ごとに貼られ、精管手術をすれば予備軍の訓練も免除されるほどだった。
そんなわが国の産児制限政策がエチオピアに輸出されるという。女性1人当たり4・6人の出産率を示すエチオピアに産児制限のノウハウを伝授するのだ。産児制限政策の“韓流”だと見るべきか。わが国の産児制限政策は類例のない成功作だった。1960年に6人だった出産率は2013年に1・19人まで急落した。むしろ過度な成功が国家の未来を暗くするほどだ。
それで忘れてはならないことがある。エチオピアに産児制限のノウハウを伝授する際に、副作用まで説明することだ。効果があまりにも強力で禍根になり得ると詳細に伝えるべきだ。薬の副作用を十分説明せずに損害賠償しなければならなくなる製薬会社のように、後に恨み言を聞きたくなければ。
(7月14日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。