李健熙の木鶏
古代中国、周の先王は闘鶏が大好きだった。ある日、丈夫なニワトリ1羽を持ってきて、闘鶏を調練する名人の紀渻子に最高の闘鶏に育てよと命じた。10日過ぎて王が「ニワトリは十分闘えるか」と尋ねた。紀渻子は「猛々しく、自分の力だけを頼りにしており、まだまだです」と答えた。
さらに10日後、王が催促すると、彼は「他のニワトリの鳴き声を聞いたり影を見るだけで、すぐに飛びかかっていくので、もう少し待たなければなりません」と言った。
再び10日後には「まだ他のニワトリを見るとにらみ付けて傲慢(ごうまん)にふるまいます」と答えた。ついに40日目となり、紀渻子が言った。「今は他のニワトリが鳴き叫んで威嚇しても木で作った“木鶏”のように動揺しません。相手が敢(あ)えて寄ってくることができず、見るだけで逃げ出します」。『荘子』達生篇に出てくる木鶏の寓話だ。
李健熙(イゴニ)サムスン電子会長が1979年にグループ副会長に昇進した時、父親の李秉喆(イビョンチョル)会長が息子に贈ったのが木鶏だった。父親は息子を執務室に呼ぶと、筆をとって「傾聴」という揮毫(きごう)を書きあげ、執務室の壁にかかった木鶏の絵をプレゼントした。木鶏のように周囲のいかなる称賛や批判にも揺るがない平常心を持ってこそ、本当の勝者になれるという願いであった。
李会長は話はうまくない。それはCEOとして欠点になり得る。しかし彼は父親譲りの傾聴と木鶏の精神を通して、欠点を長所に変えたのだ。木鶏のように驕慢(きょうまん)を捨てて相手の言葉によりいっそう耳を傾けた。世界では二流にとどまっていたサムスンを一流に引き上げた李会長の経営手法の秘訣だ。
闘鶏場と化した汝矣島の国会の姿がますます無様になった。先週、与野党の国会議員たちが国政監査の場でまたしても泥仕合を繰り広げた。「どこで拳を振り上げているんだ!」「青二才野郎が!」。怒りを抑えきれない委員長は議事棒を床に投げつけた。紀渻子の闘鶏のランクづけに従うと、自分の力だけを頼りにして飛びかかる最下位クラスの水準だ。
李会長が「(韓国の)政治は四流、官僚と行政組織は三流、企業は二流」と評したのは、既に25年も前のことだ。この間に、企業は一流に成長したが、政治は依然としてどん底の状態にとどまっている。四流の政治が一流企業の足を引っ張って国を駄目にしている。
(10月28日付
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。