杉田論文騒動の第2幕 肥大化するLGBT運動
「新潮45」休刊で批判萎縮を危惧
保守派の衆院議員、杉田水脈(みお)(自民党)の論考「『LGBT』支援の度が過ぎる」(LGBTとは性的少数者のこと)を8月号に掲載し、左派の新聞・テレビを中心にした“杉田バッシング”のきっかけを作った月刊「新潮45」。その10月号の特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」を読んで、日本の保守論壇にもまだ気骨のある編集者が存在したのか、と認識を新たにした。
だが、新潮社は「常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」という社長名の声明を出したあと、9月25日、休刊を発表した。10月号にも当然、批判が渦巻いていたが、その話題性から同号は完売する書店が相次いで異例の売れ行きを見せていたのに。
同社は休刊発表に当たって、「このような事態を招いたことについておわびする」と謝罪した上で、「会社として十分な編集体制を整備しないまま刊行を続けてきたことに対して深い反省の思いを込めて決断した」と説明したが、特別企画で掲載した論考7本のどこに問題があったのかについては、具体的言及を避けた。表現・言論の自由が絡むことから、それを守るべき立場の出版社としてははっきり言えなかったのだろうが、唐突な休刊決定だった。
不適切な記事掲載で休廃刊に追い込まれた雑誌は過去にもある。文芸春秋発行の「マルコポーロ」が1995年、自主廃刊している。これは、ホロコーストを否定する内容の寄稿記事を掲載し、米ユダヤ人団体などからの抗議を受けたことや、企業からの広告ボイコットに発展したからだった。
一方、杉田論文に対する激しいバッシングの特徴は、論文の一部を切り取った、揚げ足取りとしか思えない攻撃だった。
「彼ら彼女らは子供をつくらない。つまり「『生産性』がないのです」と、杉田は書いた。同性カップルは子供を生まないというのがその趣旨であることは明らかだ。しかし、多くの新聞・テレビは「LGBTに生産性がない」と言ったかのように、論考を歪曲(わいきょく)して杉田批判を繰り返したことから、「新潮45」以外の月刊誌の10月号でも、保守陣営から杉田を擁護する論考が目立つ。
「Hanada」に、「杉田水脈議員へのメディア・リンチ」を寄稿した評論家の八幡和郎は「偽リベラル(リベラルと自称している極左ポピュリスト)から、揚げ足取り的で下劣な攻撃が行われている」と表現したが、メディア・リンチのような状況は、新潮社に対してもあった。
「新潮45」の発行部数は最盛期で10万部だったが、最近は1万7000部と低迷著しい。深刻な出版不況の現在、不買運動などに発展しては会社の存亡に関わる。休刊の理由は、同誌の特別企画そのものにあるというよりも、LGBT活動家たちや他の左派メディアからのバッシングが続く中、売れない月刊誌を発行し続けることのリスクを考えた上での決定だったのだろう。
だが、表現・言論の自由を守るべき出版社としては、特別企画に本当にまずい点があったとすれば、検証記事や反論記事を載せて、読者がLGBT運動の本質を見極めることに資するべきだろう。休刊はその後でもできる。その責務を怠っての休刊からは、表現・言論の自由に対する、出版社の経営幹部としての信念が伝わってこない。同時に、杉田自身へのバッシングだけでなく、自民党本部や新潮社にデモを仕掛けるなど、LGBT運動の圧力のすさまじさが浮き彫りになった。
さて、「新潮45」の特別企画だが、論考のうち最も論理的で説得力があったのは教育研究者、藤岡信勝の「LGBTと『生産性』の意味」だった。「社会科学の理論では人間の『生産』『再生産』などの言葉が分析概念として普通に使われているのであり、杉田氏が公共的空間での議論のツールとしてカップルの『生産性』を論じても、何ら非難にあたいするものではない」と断言した。
藤岡はこうも指摘する。「同性愛者などに対する差別や不利益で、社会の側が改善すべきことがあれば取り組むことは否定すべきではない」とした上で、「しかし、問題は、それを利用して、社会の持続の根幹をなす婚姻制度に手を付け、その突破口として同性の婚姻を認めさせることを目標にする社会的勢力がすでに形成されていることである」と、LGBT運動の危険性を訴えている。
比喩が過激で、バッシングをあおることになると思われる表現を含んだ論考もあった。文藝評論家の小川榮太郎は、LGBTという概念に乗って議論すること自体を拒絶するとした上で、その概念は「性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい」とし、その狙いは「結婚という社会的合意と権利の獲得」つまり「同性婚である」と、藤岡と同じ見方を示した。その一方で、「痴漢症候群の男」を例に出したことは、LGBTと犯罪行為を同列に扱うに等しく、左派に攻撃材料を与えたようなもの。新潮社が偏見や認識不足があったとしたのは、このあたりの表現か。
現在の支援活動の危険性を指摘した論考として注目したいのは元参議院議員の松浦大悟の論考「特権ではなく『フェアな社会』を求む」だ。野党4党は「LGBT差別解消法案」を提出しているが、松浦は「『観念』という心の中の状態にまで踏み込んでペナルティを科すのが野党案」と指摘する。例えば、「アニメやCMなどでキャラクターが性別二元性に基づく何気ない性役割を演じているだけであっても、一部のLGBTが『疎外感を覚える』と訴えれば、出版社や放送局は規制の対象となる可能性があります」という。ゲイ当事者であるだけに、問題の核心が見えるのだろう。
杉田論文をめぐる一連の騒動で、最も懸念されるのは、やはり言論の自由が脅かされること。「正論」で、麗澤大学教授の八木秀次は「LGBTを少しでも批判しようものなら『ナチスの優生思想』の持ち主と叩(たた)かれ、LGBTへの批判的言及がタブーとなることだ」(「LGBT 法整備『暴走』を危惧する」)と警鐘を鳴らす。保守派の月刊誌に杉田擁護の論考が載るようになっただけに、「新潮45」の休刊で、LGBT運動に対する批判派が萎縮してしまわないことを願う。
(敬称略)
編集委員 森田 清策