野党の長期間の国会審議拒否に目を瞑り改憲阻止のお先棒担ぐ新潮
◆財務官僚批判の特集
書いていない、取り上げていないことを批判するのはフェアではない気もするが、しかし、“取り上げるべきことを書かない”というのは指摘されるべきことだと考える。
4月24日の閣議で辞任が決定されている福田淳一財務事務次官の「セクハラ」問題で、週刊新潮(5月3、10日号)は「さらばセクハラの王」の特集を組んだ。福田氏の退職金の細かい金額をあげつらい、学生時代のエピソードをほじくり出し、官房長までやり玉に挙げ、さらに政権内での麻生太郎財務相の扱われ方を書いている。しかし、これらを“問題化”して国会の審議を長期間拒否し国費を浪費している野党への批判は一切書いていない。
同誌は、「敵失とメディア報道に乗じる他ない野党による審議拒否作戦の狙いは、麻生財務相のクビ」だとしている。つまり、国民の血税を使って財務大臣のクビを取る野党の片棒を担ぐ一方で、長期間の審議拒否には目を瞑(つぶ)っているようなものだ。
確かに「権力は批判されるべきもの」である。政権や権力者が間違った方向に向かおうとするなら、それを指摘し、世論を喚起し、堂々と批判するべきだ。「将を射んとすれば馬を射よ」で、特定の政策をつぶすために政権そのものを倒す、そのためには何でも使い、誰でも使う、というのは、戦いの方法としては「あり」だが、国民に問題の所在を分かりにくくする。もっともそれが狙いなのだろうが。
◆政権打倒が最終目的
新潮は「野党の審議拒否の狙い」は「麻生大臣のクビ」との認識を示しているが、「もりかけ」など一連の政権批判キャンペーンは単に財務相の辞任だけではない。安倍政権そのものを倒すことが目的だ。安倍政権は憲法改正を推進している。憲法改正を阻止したい勢力があらゆる手を使って攻撃しているのが現状なのに、それを週刊誌が書かず、逆にお先棒を担ぎ、攻撃材料をせっせと提供している。
仮に同誌が安倍政権の憲法改正案に反対なのであれば、どうしてそれを誌面化しないのだろうか。読者に問題の在りかを指摘し、深い憲法論議を促さないのだろうか。刻々と変わるわが国を取り巻く安保環境、それへの対処能力、制度上の制約等々、目をそらしている暇はないはずだ。「○○砲」が向けられるべき標的を間違ってはならない。
そのような国際環境の中でわが国が確かな道を行くには基盤の安定した強い政権が舵(かじ)取りする必要がある。しかし、現状はそうではない。
◆消費増税めぐり争い
サンデー毎日(5月6、13日号)が「官邸VS財務相“ドロ沼”の戦いが始まった!」の記事を載せている。財務省がなぜ官邸に抵抗するのだろうか。答えは「消費税」である。安倍首相はこれまでの選挙に連勝しているが、思い返せばその都度、消費税がお預けを食った。「14年11月に『消費税の1年半延期』を理由に衆院を解散。16年6月には『19年10月まで2年半延期』を表明し、その後の参院選に臨んだ」。言い換えれば、消費税率を上げたい財務省を黙らせて選挙に勝ってきたわけだ。
「元総務官僚で政策コンサルタントの室伏謙一氏」が同誌にコメントしている。「消費増税をはじめとする税制や歳出の在り方などを巡り、経産省出身者が中心の安倍官邸と財務省は敵対してきた経緯がある。霞が関の省庁間の争いに、安倍3選を巡る自民党内の派閥抗争が絡み、不祥事やスキャンダルのリーク合戦が激化するかもしれません」。
佐川宣寿国税庁長官の辞任、福田氏の辞意、自民党から聞こえる財務省解体論、これらをつなげれば、ここらで争いが勃発しそうな空気が漂う。同誌は「財務省が『安倍3選』阻止で反撃に乗り出す可能性もあるか」と記事を結んでいる。
官邸と役所の争いは、それはそれで重要なのだろう。しかし、もっと取り上げてほしいのは「消費増税がもたらす国民生活への影響」だ。それも単に消費者の懐にどう響くかだけではなく、少子高齢化、地方の人口減少、非正規雇用形態などを踏まえて、今後「税」がどうなっていくべきか、という視点からの記事だ。
もし財務省解体が国の将来を見据えたところから論じられているのなら、読者に知らせるべきはまさにそのことだろう。
(岩崎 哲)