男女共同参画計画への疑問

NPO法人修学院院長・アジア太平洋交流学会会長 久保田 信之

久保田 信之

「違い」こそ「存在価値」
日本本来の在り方再評価を

 「日本国憲法の三大理念」は、平和主義、国民主権、基本的人権の尊重だと小学校以来教え込まれてはきたものの、これらを具体的生活の中で、あるいは国際関係の中で、どうすれば維持できるのか、いかなる努力をわれわれ日本国民がなし続けたらよいのか、等々自分の問題にまで下ろして具体的に検討してきたであろうか。

 野党の政治家諸氏は、日本国が直面している近隣諸国からの軍事的脅威に対しても、さらには国内の治安維持活動に対しても、この「日本国憲法の三大理念」を掲げてさえいれば問題は解決すると思い込んでいるようだ。日本人の多くが70年以上もの間、憲法による思考停止状態のまま『奴隷の平和』を味わってきたのだ。

 今回、問題にしたい「男女共同参画計画」にしても、平成18年の第1次安倍内閣以来、「男女平等の実現に向けてさまざまな取り組みがなされている国際社会に連動して、わが国も、なお一層の努力を必要とする」と説明して走りだしたのだが、この中身を真剣に考え、理解し、「自分の問題」にまで下ろせる人が何人いるのであるか。

 この計画も、「男女が平等対等な関係にある」などとした憲法から出ている。しかし、この「平等対等な関係」というところが現実に下ろした場合、イメージができない。なぜなら、日々接し理解している姿は「男女は同じではない。男女は異なった存在だ」ということだからである。この『真実』から目をそらせ「考えない人間」にしてきたのが、「男女は人間としては同じだ」「人間の本質は同じだ」との考えであり、さらにその奥には『差別は良くない』といった「高尚な理念・絶対命題」の存在がある。

 「違いの尊重」を忌諱(きい)したのが一神教だ。わが国の多神教からすれば「違い」こそが尊い側面だし、「そのものの存在価値」なのだ。差別要因などではないのだ。われわれの文化からすれば「同じ」こそ『逆差別』なのだ。それ故、日本の長い歴史の中では、武家や商家、さらには農家においても、男女は違う存在であるからこそ、対立したり敵対関係に立ったりせず、尊重し協力し合い、共同して事に当たってきたのだ。女性は男性とは違った側面で家族、親族、親戚縁者さらには近隣社会を束ねてきたのだ。妻、母の権限、存在感、影響力は、夫、父親では発揮できないほど大きかったのだ。この事実・真実があったから、日本社会は維持発展してきたのだ。

 日本の長い歴史を、「カネ=経済力」が肥大化した時代に限定してしまった結果、男女雇用機会の均等を言い、性による分業は許せないとの主張が俎上(そじょう)に載ってきただけのことではないのか。日本本来の健全な男女の在り方を見いだそうとしてきたであろうか。

 日本独自の問題を日本人の立場で直視し、諸外国とは違った“日本の歴史”に根差した、日本独自の問題を独自の方法論を駆使して、日本に合った、日本人誰もが理解でき賛同するような「日本人としての改善策」を捜し求めようと努力することこそ、国際化時代の今こそ求められていると言いたいのだ。

 現実の日本社会を、「カネ=経済力」が人間を支配しており、個性豊かな個人としての存在は踏みにじっている、と思い込んでいる論者が、「男女が対等平等に評価されない」と訴えておられるようだが、「カネ=経済力」に支配され「地位の上下」にかけがえのない自分がすり減っている「男性」の心情に、女性を引き下げることの理由は何であろうか。

 また、他の論者は、祖国日本を直視せず、「男女共同参画社会」の実現こそ、労働力不足と少子化不況の現状を解決する道だし、女性を男性から解放し自立させる唯一の処方箋であると主張しているが、それは日本文化を知らない証しだ。

 国連開発計画が発表する「人間開発報告」(2001年)によれば、社会において議員・管理職・専門職などで活躍する女性の度合いを指標化した「ジェンダー・エンパワーメント指数(GEM)」が日本は世界で31位と低い点に着目し、政治・経済への女性の進出が日本は不釣り合いに低いと指摘する。これを安直に受け入れて「女性の管理職の比率を高め、女性が輝く社会に改造しなければならない」と、安倍内閣も強調している。

 現実問題として、GEM上位の国々の実態をどこまで細かく把握しているのであろうか。1位のノルウェーから15位のスペインまでの国々は、全て欧米の国であり、2位のアイスランドを除き、いずれも人口の減少に悩まされている国々である。しかも、平均寿命、教育水準、生活水準などを示す「人間開発指数(HDI)」では日本は9位であり、平均寿命、就学率、所得などを示す「ジェンダー開発指数(GDI)」では日本は11位であり、それほど非難される数字ではない。

 欺瞞(ぎまん)的なレトリックを使って、国民を欺こうとしている無知なる反日論者に惑わされることなく、しっかりと、この日本の現実を直視して、日本の文化伝統を担い続けていきたい。最後に、日本人は、男性も女性も、他国がうらやむ文化伝統を背負い、社会性豊かな確立した「個人」なのだ、という自信と誇りもって事に当たってほしいと言いたい。

(くぼた・のぶゆき)