9条自民両案は折衷可能 篠田英朗氏

憲法改正 私はこう考える

東京外国語大学大学院教授 篠田英朗氏(下)

安倍晋三首相が表明した自衛隊を憲法9条に明記する改憲の方針をどう評価するか。

篠田英朗氏

 終戦直後の人は唇をかみしめながら、この憲法と一緒に何とか生きていこうとしていたが、冷戦時代の後半ごろから、これは世界最先端の憲法だからアメリカ人を批判するために使おうというように変わった。冷戦が終わると今度は、淡々と憲法と現実のギャップを埋める作業をしていけばよいのではないかとの考えがだんだん広まってきた。それが、国連平和維持活動(PKO)協力法の制定から始まる過去25年ほどで起こってきたことだ。安倍首相の改憲案も、もう遅過ぎるくらいなので現実を反映した憲法を作らないと恥ずかしいという発想だ。

 その姿勢は、私も同意する。ただ、妥協案のように出てきた自衛隊という言葉を9条に入れる案は、テクニカルに言って、私はあまりいい案だとは思っていない。

なぜか。

 自衛隊は一つの組織名称であって、憲法典のレベルで正当化するほどのものではない。憲法に入れてしまうと、名称変更も憲法の問題となってなかなかできなくなる。また、憲法直属組織になるので、拡大解釈すれば戦前の統帥権干犯のような問題になる。つまり、外務省や経済産業省は主権者・国民の直属組織ではないが、自衛隊は憲法典に記載された主権者・国民が直接的に作った組織なので、国会でそう簡単に自衛隊を変えてはいけないという詭弁(きべん)も言えなくはない。そういう不測の事態を招きかねない表現はない方が良い。

 だから、安倍首相の加憲案が一番素晴らしいとは思わない。ただ、全般的な流れとして少し変えた方が良くなりそうだというのであれば、目くじらを立てることもないとも思っている。時代の流れとして一つの前進になる部分もあるので評価はするが、もう少しいいやり方はあるのかなとは思っている。

自民党憲法改正推進本部は昨年末の論点整理で、9条1項、2項を残して自衛隊を明記する案と、2項を削除して自衛隊の目的・性格をより明確化する案を併記した。

 自民党が議論している二つの案のうち、安倍首相に近い加憲案は、時代の流れもあるので憲法を改正して精緻化し整備したい。ただし、あまりにも変化が激しいと国民投票を通過できないので少し妥協し、穏便な形で改憲案を提示したい、という発想でやっているものだ。

 石破さんに代表される人たちは、そのようなやり方は中途半端で、どうせ変えるなら後々までややこしいことが残らないような形できれいに改憲した方がいいという考え方で、2項を無くした方がいい、ということだが、二つの案は本質的には対立していない。

 二つの案は互いに「それで本当にうまくいくのかな」と言い合っている状態だが、国民投票をやってみるまでどちらが正しいか分からないから、推測の議論が続いていくわけだ。

 ――どのようにすべきだと考えるか。

 折衷しようというわけではないが、両案はつながっていると思っているので、両者が共に矛盾しない形で整合するのが一番いい。私の案は、9条3項で「前2項の規定は、本来の目的に沿った軍隊を含む組織の活動を禁止しない」とするものだ。2項を残したまま自衛隊は軍隊であるが、憲法の目的に沿っているとはっきり書いて、自衛隊の存在および活動の合憲性を確証すれば、それで実は石破さんがやろうとしていることの本質は達成される。

伝統維持しつつ改憲を

 名前が自衛隊で国防軍でないということは基本的には些末(さまつ)な話だ。

 ただ、軍隊だと言わないと問題が残るというのは、全くその通り。軍法も作れないし、パスポートも一般旅券で行かざるを得ない。「軍服はこの場面では脱いでください」「いやここではいいかな」といちいちつまらないことまで悩まないといけない。「作戦」というと軍隊っぽいから「運用」と呼ぼう、といった次元の話が永遠と続く。

 では、なぜ2項削除より残す方がいいのかと言えば、伝統だ。国民投票が通りやすくなるかどうかはよく分からないが、今まで2項を持って70年以上、平和主義国家としてやってきたので、このまま2項を維持し連続性の中で平和主義国家日本を運営していく方がいい。

 アイデンティティーが断絶するかのような憲法改正よりは、アイデンティティーは維持したまま曖昧な部分を明確化する改憲案の方が望ましい。

 軍隊でないのは問題があるので軍隊であることを明確にする。しかし2項には歴史的な経緯と日本のアイデンティティーが凝縮されているので、それはやっぱり維持した方がいいという、二つの要請があれば、私は単純に二つ同時にやればそれでいいのではないかと思っている。

 (聞き手=政治部・武田滋樹、亀井玲那)