ローンウルフは日本にも
自殺願望を秘めたテロ
組織前提の法では防止は困難
長い歴史を持つフランス大統領就任式が、一連のテロ対策として出された戒厳令下のパリで行われたということは、現在の世界が抱えている問題としてテロ対策の重要性を明確に印象されたこととして世界に深刻な印象を抱かせた。しかし欧米ほどテロの襲撃を経験していない日本では、テロ問題は欧米ほど身近な危機として感じられないのは不可解なことではないと言えるが、地球が小さくなった今、テロに対する警戒は日常生活の糧同様、必要不可欠な課題であることは間違いないことである。
今、日本の国会では対テロ対策として「テロ等準備罪」法案が審議されているが、本来はオウム真理教事件時において法の制定が必要なことであったと振り返らざるを得ない。テロという犯罪は起きた時は終了しているという事件で、犯行が起きる前に取り締まることが唯一テロを抑止する方法であり、特に最近の自爆テロと言われるテロ様式では事前に取り締まることが唯一テロ被害者を出さない方法である。そのため調査は犯行が行われる前に始まり、犯行直前で終了するということになる。
日本で審議されている対テロ法案はテロを実行する組織が存在することを前提とした対テロ法案であるが、フランス、ベルギーで起きた一連のテロ事件は「ローンウルフ」という言葉で表現されるように、一人もしくは数人の自殺願望を秘めたテロ行為であり、有名な9・11事件とは異なる非組織的なテロであると判断される。確か「イスラム国」(IS)の名前が出てくるが、ISメンバーとして自殺型テロを実行するISが企画し、計画を練ったテロではない。欧米の格差社会の中で移民イスラーム教徒の子弟一部が、人生に絶望し、一神教徒として許されない自殺をイスラーム教の聖戦ジハードに参加するという形で来世での天国を望むことを姿にした行為であり、格差社会の姿を表現したテロであると言える。
一神教の一つであるイスラーム教徒は自殺することはできない。自殺は神から預かった命を絶つものであり神の意に反する行為であり、それ故、最後の審判後は地獄での生活を強いられる行為である。しかし聖戦で死んだ場合には、前世の汚れは払われ最後の審判後は天国の生活が保障されるという死生観が示されている。
問題は聖戦に参加するという行為が成立するか否かの判断であるが、自分が属している派が聖戦の宣言を出していなければならないという環境が必要であるということである。追い詰められた教徒が「聖戦」に参加し、来世を望んでも属する派が「聖戦の宣言」を出していない場合は、自殺は神に反した行為として判断され、地獄での生活を余儀なくされる。また他派が「聖戦を宣言」したとしてもそれに参加すること、すなわち派を変えることは難しく聖戦参加の道は閉ざされている。
しかし2014年6月29日に建国宣言をしたISは聖戦を宣言すると同時に全世界のイスラーム教徒にISへの参加を認め、ISの名を全世界に印象付ける目的をもって参加募集が行われた。この表明が、人生に絶望し、聖戦への参加が唯一残された道であると感じていたイスラーム教徒たちにとって希望を与え、彼らは自由意思を持って自らの意思の下、テロを実行した。テロ直後、ISは直ちに「聖戦への参加者」とする認定の声明を発し、同じような希望を持つ信者を集める行為を展開した。
世界はこのようなテロを、これまでのテロ同様、組織的テロであると最初は判断したが、しかしその後の同じスタイルのテロと遭遇した後、ようやく意識的な関係をISとは持っているが、テロ行動自体は自発的なものであるとの判断に落ち着き、その結果、テロリストに荒野をさまよう孤独な狼という印象を抱き「ローンウルフ」という名前で形容することとなった。
テロは反政府集団による要求を市民の犠牲をもって遂げようとする古くから伝わる政治手段である。それ故、国民の声が政策を動かすシステムを持つ国、民主主義国家で起きることが特徴とする。しかしテロは本来の政治的、宗教的目的を示すテロ、復讐のためのテロ、存在を示すためのテロ、そしてローンウルフに見る自殺のためのテロ等々その分類幅は広い。それ故、組織の存在を前提とするテロ抑止法はこの種のテロ抑止には効果的とは言えず完全にテロを防止することは難しいものと思われる。
08年6月8日に起きた秋葉原事件は宗教とは関係ない事件であったが、改めて「ローンウルフ」型の事件として考えると、欧米で起きた一連のテロ事件を身近に感じることができると同時に、その対処法も考えられるのではないかと思われる。
(あつみ・けんじ)