北畠親房の天皇論に学ぶ

小林 道憲哲学者 小林 道憲

「正直の徳」を最重要視
血統・霊格・神器で保つ連続性

 『神皇正統記』は、わが国の南北朝期の南朝側の重鎮であり政治家でもあり思想家でもあった北畠親房の著である。熱烈な南朝擁護の書として知られるが、それだけではない。『神皇正統記』は、神代の昔から、皇位の継承が正理によって一貫して行われてきたことを説こうとしたものであった。親房は、ここで、連綿として受け継がれてきた一筋の天皇の系譜に、日本の歴史の中の一貫して変わらないものをみた。しかも、そのようなことは、王朝の絶えず交代していたインドにもシナにもなかったことであり、わが国の歴史のみが持っている独自性だと考えたのである。

 国家というものは、単に、今生きている人たちによってのみ成り立っているわけではなく、すでに死せる者と、今生きている者と、これから生まれくる者の、文化の継承によって成り立つ歴史的共同体である。だから、どの国にも、祖先から子孫へと受け継がれていく生き方の連続性があり、それは変転極まりない歴史を通して、なお変わらないものである。わが国は、この歴史において変わらないものを、一貫した天皇の系譜によっても表現してきたと言える。そのような仕方は、確かに、日本独自のものであろう。連綿として受け継がれてきた天皇の系譜は、日本の同一性なのである。

 では、この日本の同一性であり、日本文化の連続性を保証する天皇の系譜は、どのようにして連続性を保っているのか。それは、一つには、血統の連続性であり、さらに、霊格における連続性である。折口信夫が「大嘗祭の本義」で言っているように、即位の時、執り行われるといわれている大嘗祭の秘儀のことを考えるなら、天皇の系譜は、ただ血統の連続性だけでなく、生きた人格としての天皇の生死にかかわらず、なお霊格において、天皇霊は歴代天皇によって連続して受け継がれてきたとみなければならない。

 『神皇正統記』では、この天皇の系譜の一貫性は、歴代の天皇によって行われてきた三種の神器(鏡と勾玉〈まがたま〉と剣)の授受によっても説明される。しかも、鏡は無私と正直、勾玉は柔和善順と慈悲、剣は剛利決断と智恵を表すとみる。ここから、天皇は、この三徳、正直・慈悲・智恵を合わせ持たなければ、天下は治まらないと説く。これは、親房独特の三種の神器の解釈であるが、特に鏡を正直の徳の象徴とし、この正直の徳こそ、国の統治に必要な徳であると考える。道の源は、心に一物も蓄えない虚心の境地にあり、己の欲を捨て、人を利することを先とし、鏡が物を照らすように、澄明で迷わぬ境地こそ、真の正道だと言う。

 親房が、三種の神器の中で、鏡を第一にし、これを正直の本源とし、天皇が持つべき徳としたことは、天皇のあるべき姿を鋭く指摘している。天皇は、生身の人間には違いないが、その心は、鏡のように無私でなければならない。そして、あらゆる矛盾を統一し、相対立するさまざまの意見を全て映し取る働きをしなければならない。天皇の心は一つの透明な場所であり、そこでは、天皇制反対論者の言論さえも可能になるようなものである。

 こうして、天皇は、己が心の中に、日本の文化・政治・国民生活全てを、大海原のように包含し、日本人の生き方の象徴、日本文化の全体性の象徴として、国民を統合する。天皇の本質へは、政治的な方向からでも、文化的な方向からでも、どこからでもアプローチできるが、いつも群盲象を撫(な)でるように、その本質は十分にはつかめない。それは、天皇がもともと無私であって、あらゆるものを映し取るものだからである。

 そのような私心のない鏡のような心境は、生きた人格としての天皇が絶えずそれに向かって修養を積み、努力すべき徳でもある。このような明鏡のような天皇の心は、歴代の優れた天皇がそれぞれに持ってこられた心でもあった。歴代の優れた天皇は、神道祭祀(さいし)の励行や、お歌の修行、いにしえの古典の学問などを通して、そのような徳を持つべく努力してこられたのである。

 逆に言えば、血統の一貫性、霊格の継承、神器の相承において連続性が保たれていさえすれば、天皇は退位もできるし、天皇には女帝や幼帝が立ってもよいことになる。実際、伝統的には、これら全てが行われていた。しかも、この三条件が全て備わっていなければならないというわけでもなかった。それは、天皇制度の柔軟性として評価してよいことであろう。

 その意味では、明治の薩長藩閥政府によって固定された一世一元制には無理があったと言わねばならない。一世一元制を踏襲する今日の皇室典範では、天皇は退位もできず、天皇には男系男子しか即位できず、天皇は極めて硬直化した制度下に置かれている。そのために、天皇および天皇家に極度な無理を強いてきたことも確かである。

 政府は、現段階では、差し当たり、退位に関する部分を、現皇室典範の付則とリンクする形で、特例法で改正することにし、国会の審議にかけることにしたが、これを機に皇室典範全体の見直しに向かえばと思う。

(こばやし・みちのり)