空き家数激増の現実直視を
人口希薄の悪循環反映
国力の大幅減退に歯止めを
全国合計で空き家の数が820万戸にもなっている―と某ラジオ局の報道で知って、筆者は驚いた。昭和35年に登場し翌36年度から推進した池田勇人政権の経済高度成長政策が次第に軌道に乗り、敗戦の痛手でエンゲル係数が20を超す貧困のドン底から次第に明るさを取り戻しつつあった昭和30年代末期から40年代にかけても、こと住宅に関しては再建の立ち後れがひどかった。
何しろ京都府と奈良県を除き、東京都の都市部ほか各府県の主要都市は、米国空軍の爆撃に次ぐ爆撃で焼失または破壊し尽くされている。それに加えて、海外からの家族ぐるみの帰国者と戦地からの帰還兵が多数で、住宅不足に拍車を掛けているのが実情だった。
もとより政府も地方公共団体も住宅供給には力を入れた。だが、住宅は飲食物のような日用消費品と違って高価につく。建築資材の不足並びに建築職人の確保も簡単には運ばない。いや、それ以前に用地の策定も容易なことではなかった。
当然、政府も住宅供給をいかに増やすかに苦心した。日本住宅公団の設立・発足(昭和30年)による当時としては“近代的”な住宅を連ねた住宅団地を造成し「公団住宅」への入居希望者を募集したところ、応募者(入居希望者)が殺到し、“くじ引き”で入居者を決めるありさまだった。公団住宅とは別に、地方公共団体による低所得者層向けの公営住宅の建設・入居希望者の殺到が相次いだが、公団住宅に比べると格段に質が劣り、筆者が当時の建設省の案内で某県の住宅事情を実地調査したところ、何と浴室のない公営住宅があるのにびっくりし、かつ、憤慨したことがあった。
それが昨今では全国で900万戸に近い空き家とは。まさに隔世の感ありと言う以外にない。
空き家増の直接原因は改めて言うまでもなく人口減である。戦後期とは逆の現象が現に表面化している。供給不足から需要の大幅減へ―住宅需給はここ数十年の間に大逆転してしまったことになる。
それには、日本の人口減が大きく響いていることもとよりだが、建築技術の進歩も強く関わっている。全国のめぼしい都市には、いかにも住み心地の良さそうな高層マンションが、地震大国日本を時に襲う強大地震にどこまで耐え得るかは未知数にせよ、とにかく林立する時代になっている。若者世代を中心に、入社した職場へ通うのにも都合がいい。総人口が漸減しているため、人口希薄地域は一段と人口減が進み、そのため空き家が増加し続けることにならざるを得ない。端的に言えば、人口希薄がさらなる人口希薄を呼ぶ一種の悪循環が、全国の多くの地域で相次ぎ表面化しているこの空き家数の激増に反映しているというべきだろう。
空き家数の増加がもたらすマイナスは、改めて言うまでもなく多大である。幾つか具体例を挙げよう。人口希薄地域では、事業が成り立つ可能性はひどく乏しい。何しろ需要そのものが少ないのだから、飲食料品ほか日用品が中心の大衆相手の販売事業は採算が取れなくて当然である。教育機関(学習塾も含めて)も、順調な運営はまず無理。人口希薄地域では高齢者が多く、医療への需要は必然的に大きいはずだが、そこで活動しようという医師ほか医療関係者も、十分ではあり得まい。
そのほか消防や救急事業のための人材の確保も困難な実情にあるだろうことは、容易に推測できよう。さらに、消費者に人気の高い著名な農産物や林業産品を除いて、どこにでも産出する野菜などを中心にした農業も、地域人口の減退と高齢者ばかりが残留している地域では経営持続が次第に苦しいものになっていると推定できよう。豪雪地帯の屋根の雪下ろしも大変だろう。
このほか、郵便の利用も減少基調に陥ること不可避で、現実にポストの数が目立って減っている―と聞く。郵便事業そのものがメールのやりとりの普及で活用度が落ちてきているせいも無論あるにはあるだろうが、空き家と居住者の高齢化の著しい地域での郵便事業は採算が合いにくい。同様に、電力・水道・ガスなどの供給事業も、一種のいわば社会事業に似て、利益をもたらすにしても多くは望めまい。地域によっては、貸しボンベにガスを入れて利用者の便を図っている例が少なくないと聞く。が、空き家が多くの都市に比べて需要者が広い地域に分散居住している場合、供給する側の費用負担つまりコストも、決して軽くはないだろう。
以上、ごく大ざっぱながら、脅威的とも言うべき空き家数の増加が引き起こすマイナスの側面を概観した。空き家の数の増加を簡単に「ああ、そうか」と受け取るべきではない現実を直視していただけたかと考える。
総人口の減少基調と空き家数の増加―このまま推移すれば、国力の恐るべき減退を招こう。
(おぜき・みちのぶ)