積極的平和主義と不戦の誓い
自衛戦争禁じぬ不戦条約
国連は集団安保で平和維持
昨年12月27日、安倍総理とオバマ米大統領は真珠湾を訪れ、アリゾナ記念館で挙行された、日本海軍の奇襲による犠牲者の慰霊祭に出席し、慰霊の誠を捧(ささ)げた後、対岸の埠頭に待機する多数の参加者に対し、並立して、各自約15分間、講演した。日本の中央各紙は、その全文を掲載した。両者の趣旨は同じである。
要約すれば、まず、この奇襲による犠牲者を顕彰し、その後、激闘した日米相互が、寛容と和解の価値を認め、強固な同盟を築き上げた。しかし、世界には、大戦後も戦争の惨禍は絶えず、憎悪が憎悪を招く連鎖を断つように、今こそ寛容の心、和の力を必要とするとし、日米同盟はその範であれと強調している。
総理は前日、米海兵隊基地を訪れ、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦への帰還不能と判断して、引き返し自爆した飯田海軍中佐の碑を訪れたこと、さらにこの碑がハワイ在住の米人により建立されたことを披露し、アンブローズ・ビアスの詩「勇者は勇者を敬う」を紹介。次いで、戦後窮乏する日本国民を救済した米国国民の寛容の心を賛美し、謝意を表明した。評論家の一部に批判もあるが、全般に詩情豊かな名文で、日米同盟の強化に益しよう。
しかし、「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない。そして戦後、自由と民主主義的国をつくり上げ、法の支配を重んじ、ひたすら『不戦の誓い』を貫き、戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、日本人として静かな誇りを感じながら、これを『不動の方針』とし、日本人は静かな誇りを感じながら、今後も貫きます」と述べた。筆者は「不戦の誓い」には反対である。緊迫する国際情勢を無視し、現憲法を賛美し、平和を夢見る、「平和ぼけ」とも言える日本人および一部の外国人に「不戦とは戦争を憎悪するのみで、正義の戦争を放棄する」と、誤解されないかと憂慮する。
顧みて、わが国は、日本人の拉致、竹島や北方領土問題未解決の状態で、静かにとはいえ、独立国家としてそれを誇れるであろうか。
1928年、不戦条約が成立し、日本を含む大国16カ国、大戦直前には約60カ国が加盟していた。条約は3カ条からなる簡単なもので、要旨は、国家政策の手段としての戦争放棄、および国際間の難題は平和的手段によることの2点であった。しかし、自衛戦争まで禁止してはいない。また、不戦条約の違反に対する制裁は定めてはいない。
第2次世界大戦後、国際連合が結成され、19章119条からなる国連憲章に基き、世界平和の維持に努めてきた。憲章の第1条「国連の目的」は、国際平和、安全の維持のためとし、その方策として、集団安全保障を基盤としている。
平成27年3月、本欄に「集団安保は積極的平和主義」と題する拙稿が掲載された。その中で集団的自衛権と日米同盟および集団安全保障について概説している。現在、国連には193カ国が加盟している。その目的は平和維持であり、その基本方策として 集団安全保障がある。これは多数の国が相互間に戦争、武力行使を禁止し、違反した国には、その他の全ての国が、集団で阻止、または鎮圧する。その方策、手順等は第7条に詳述してある、要約すれば、順序は①暫定措置として勧告②非軍事的措置③軍事的措置で、憲章第42条「軍事的措置」に、国連軍による示威、封鎖およびその他の行動としている。その武力行使は侵略国への制裁であり、正義の行為としている。わが国の軍事的参加は国連加盟国としての義務であろう。
日本憲法第98条第2は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と規定している。総理は、積極的平和主義を提唱しているが、侵略に対する制裁行動には、いわゆる「一国平和主義」に拘泥し、武力行使を禁じ、非戦闘地域における後方支援に限定し、「不戦の誓い」を不動の方針としている。
北朝鮮は、国連安保理の数次の大量破壊兵器開発禁止の厳しい警告を無視し、その結果制裁としての経済封鎖を突破し、核と長距離弾道ミサイルの開発を強行し、今や核保有国と称し 核戦力を誇示する状態である。また、中国は、常任理事国でありながら、国際法に反し、国際司法裁判所の判定を無視し、南シナ海に人工島を造成し、軍事基地を建設している。世界情勢、特に東アジアでは緊迫化しているが、国連は、憲章違反に対する制裁機能、能力が不備ではないだろうか。日米両首脳が主張したように、寛容の心、和解の力を堅持しながらも、国際法違反に対しては、厳しく対応すべきである。
3月29日付産経新聞は、「安保法制1年―朝鮮半島有事で自衛隊は…」と題して、集団的自衛権に壁がある、と述べている。政府は、さらに集団安全保障上の見地から、国連はじめ米韓両国と綿密に調整し、共同指針の考察を進めるべきであろう。
積極的平和主義と「不戦の誓い」は矛盾していないだろうか。
(たけだ・ごろう)