憲法公布70年、改正を要する内外情勢の変化


 日本国憲法公布から70年を迎えた。敗戦による占領期に連合国軍総司令部(GHQ)の絶対的な指導の下、帝国議会で大日本帝国憲法の改正手続きにのっとって制定されたものだ。しかし、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を認めないことを定めた9条の問題をめぐる国論対立を残している。

改憲発議の可能性も

 昨年は安全保障関連法をめぐって国会内外で騒動が起きた。集団的自衛権の行使を一部容認した憲法解釈変更の在り方が争点となった。

 もっとも解釈変更は苦肉の策であり、本来は憲法改正が望ましい。独立国は集団的自衛権と個別的自衛権を行使できることを国連憲章が確認している以上、これと矛盾する憲法の条文は改めねばなるまい。

 東日本大震災など巨大災害も起きている。大日本帝国憲法には緊急事態条項があったが、これをなくしたのも占領期に制定されたことが原因だ。

 一昨年6月の国民投票法改正をもって憲法改正案を現実に審議できるようになった。改正手続きを96条に定めているにもかかわらず、そのための法整備すら長く手付かずだったのも尋常ではなかった。

 さらに夏の参院選の結果、改憲を視野に置く議員が衆院、参院とも3分の2以上の議席を占めた。このため、改憲発議が行われる可能性もある。

 かつての世論は圧倒的に「護憲」を後押ししたことを踏まえれば、時代の大きな変化を物語っていると言える。これは特に冷戦構造が崩壊した1990年代以降に行われてきた憲法論議の形でもある。

 確かに現憲法制定により、民主主義が進展し、政党政治、議院内閣制、司法が機能し、社会も繁栄した。焦土からの復興、高度成長を経て先進国となって今日に至っており、経済力、国民の活力が増した。

 これは戦後間もなく東西冷戦という共産主義諸国の陣営と自由主義諸国の陣営が対立した時代に入り、西側陣営に日本がくみした選択の結果である。その前提は現憲法制定であり、講和条約、日米安保条約締結へと続いた。

 1952年の講和条約発効でわが国は独立を回復。主権を守るため軍事力を備えるのは国際常識だが、超大国の米国との安保体制の中で経済発展に専心してきた。改憲への抵抗運動が激しかったことも一因だ。

 しかし、冷戦後の変化は安保環境において著しい。中国が軍拡を進め、北朝鮮が核武装を試みる一方、米国は衰退して大統領候補が在日米軍の撤退の可能性や日本の核武装容認に言及するほどにまでなっている。

 敗戦当時の憲法は国の将来のため見直すべき時に来ている。法律一般は時代の変化、改革の必要性などから国会で頻繁に改めるが、憲法は改めてはいけないと考える一部世論、9条を変えないためノーベル賞を求める運動などは異常である。

 審査会で改憲案審議を

 公布70年を機に、まず国会の憲法審査会で衆参の議員らが日常的に改正案を検討して審議し、可及的速やかに国民に改憲発議すべきだ。