太平洋での日比提携の可能性
国際安全保障の枠組みに
画期的な天皇皇后両陛下行幸
過刻の天皇皇后両陛下のフィリピン行幸は、日本と東南アジア諸国との関係を紡ぐ上で画期的な意義を持つものであった。
就中、天皇陛下が歓迎晩餐会での「乾杯の辞」中、第二次世界大戦時のフィリピン戦を念頭に置きつつ、「この戦争においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘が行われ、このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり…」と述べられた一節は、日比関係における「戦後の和解」を決定的に画するものであったといえよう。
加えて、ベニグノ・アキノ3世(フィリピン大統領)が披露した「乾杯の辞」における次の一節は、彼における国家元首としての「徳」を十二分に感じさせるものであった。
「私が両陛下にお会いして実感し、畏敬の念を抱いたのは、両陛下は生まれながらにしてこうした重荷を担い、両国の歴史に影を落とした時期に他者が下した決断の重みを背負ってこられねばならなかったということです」
もっとも、国際政治の渦中に身を置く政治家としてのアキノの立場を思い遣るのであれば、次の一節には留意が必要であろう。
「貴国はまた、ミンダナオの和平プロセスや開発に加え、我が国の海上能力や災害管理能力の強化をも支える重要なパートナーであり、アジアにおける法の支配を推進する力強い同盟国でもあります」
アキノは、国賓を招いた晩餐会という「外交儀礼上、最も畏(かしこ)まった場」で、日本を「法の支配を推進する強力な同盟国」と呼んでいる。この意味は、日比関係の今後を展望するに大なるものがあろう。
振り返れば、2013年11月、レイテ、サマール両島を直撃した台風災害に際しては、日本は、「サンカイ作戦」と称される災害救助作戦を発動し、海上自衛隊艦艇3隻を派遣している。天皇陛下が披露された「善意と友誼の言葉」は、こうした自衛隊の活動を含む国民各層の様々な努力があればこそ、その意義が特筆されるべきものとなる。
今後、そうした努力は、どこまで多彩に展開され得るのであろうか。目下、東シナ海・南シナ海での中国の海洋進出は、特に日米豪印4カ国の安全保障上の提携を促しているけれども、この提携の輪の中に先々、フィリピンやヴェトナムを入れることは、当然のように考えられよう。
当代の日本に要請されているのは、このような先々の「アジア・太平洋版NATO(北大西洋条約機構)」とも呼ぶべき枠組みの樹立に結び付く対外政策構想である。NATOがそうであるように、自由、民主主義、法の支配といった価値に裏付けられた国際安全保障上の枠組みの構築が、日本の対外政策が目指す方向なのである。
因みに、『共同通信』(2月8日配信)記事によれば、日米両国政府は、豪比両国を含めた4カ国による海上保安機関長官級会合を今年前半にも初めて開く方向で調整中との由である。記事は、会合の趣旨について、「日本の海上保安庁長官に当たる各国の海保機関トップが集まり、東シナ海や南シナ海で活動を活発化させる中国をにらみ、海上警備態勢の強化へ連携を深める狙い」と報じている。前に触れた「アジア・太平洋版NATO」の樹立に向けた胎動は、確かに始まっているのであろう。
1950年1月、朝鮮戦争勃発前夜、ディーン・アチソン(当時、米国国務長官)は、アリューシャン列島から日本列島・沖縄を経てフィリピンに至る弧状の線を「不後退防衛線(defense perimeter)」として設定し、その線の防衛を西太平洋海域における「覇権」維持の根幹に位置付けた。
この「不後退防衛線」戦略は、前年の共産主義・中国の登場に促されたものであったとはいえ、その基本線は、現在でも変わっていない。寧(むし)ろ、「第一列島線・第二列島線」概念に反映された中国の海洋進出への野心が露骨であればこそ、日本やフィリピンのような「西太平洋における米国の同盟国」は、「不後退防衛線」戦略の前線ツー・トップとして緊要な位置を占めることになる。
1990年代初頭のスービック、クラーク両基地からの米軍撤退は、中国の南シナ海進出を誘発したけれども、米軍のフィリピン回帰は、この「前線ツー・トップ体制」を復活させる。それは、沖縄が「前線ワン・トップ体制」を担っていた従来の様相を改めることを通じて、沖縄の安全保障上の負担を軽減することにも結び付くであろう。
天皇皇后両陛下の行幸が画した日比両国の「緊密な関係」には、そうした安全保障上の可能性が内包されている。問われるべきは、そうした可能性を含み置いた政策展開を、日比両国政府が手がけ続けられるかである。(敬称略)
(さくらだ・じゅん)