パラリンピック創始の哲学

佐藤 唯行獨協大学教授 佐藤 唯行

スポーツをリハビリに

亡命医師グットマンが発想

 4年後のオリンピック東京大会を控え、同時開催されるパラリンピックへの関心も俄に高まっている。この国際的催しを創始した人物こそ、ナチスの圧制を逃れて英国に亡命したユダヤ系医師、ルートヴィッヒ・グットマン(1899―1980)であった。ドイツ帝国領内で正統派ユダヤ教徒の家庭に生育した彼は名門ブレスラウ大学医学部に進学する。学位取得後、神経外科医として先駆的業績をあげ、若くして国際的名声を博したが、1933年、ヒトラー新政権が定めた公職からのユダヤ人追放により、彼は一夜にして地位と活動の場を奪われてしまうのだ。

 しかし、渡英後は卓越した業績が評価され、オックスフォード大学で研究の場が与えられたのであった。その後、ドイツとの戦いが始まり、連合国軍側がノルマンディー上陸作戦(44年6月)を立案すると、英国政府は多大な人的損傷を想定して、43年9月、バッキンガム州ストーク・マンデヴィルに国立脊椎損傷者センターを新設したのだ。

 グットマンは英国政府の要請に応え、所長職を引き受けたのだ。恵まれたオックスフォード大学での研究生活を捨て、脊椎損傷者の面倒をみるという困難な仕事を引き受けたことは同僚たちには理解に苦しむところであった。当時の医学界には脊椎損傷者には社会復帰が望めないという偏見が根づいていたからである。鎮痛剤投与とギプスで患部を固定し、ベッドに寝かしつけ、あとは死ぬまで介護を続ける以外、対処法は確立されていなかったのだ。

 結果、患者の多くは尿路感染症と酷い床ずれによる敗血症に苦しみ、次々と死んでいったのだ。何とか生き延びた者も「社会に役立つ生活」に復帰するための動機づけや励ましを与えられず、ただ、家庭や療養所で他人の世話になる余生を送るはめになったのである。脊椎損傷者の治療は当時の医療の中で、最も未開拓な分野のひとつだったわけである。

 けれど、並はずれた洞察力と深い知識を兼備したグットマンには勝算があった。スポーツと労働を採り入れた新たなリハビリ法の導入であった。まず患者への投薬をやめ、床ずれから解放するため、患者を寝台から引き離そうとした。次に車椅子に乗ってできる洋弓や卓球のようなスポーツと木工、時計修理等の労働を奨励したのだ。スポーツは障害者の肉体的健康を回復させるだけでなく、忍耐心や協調性等、患者が社会復帰する際、求められる資質を育む上で有効だったからである。

 また、労働は自分が社会に有益な存在であるという自信を患者に賦与する上で効果があったからだ。「身障者はスポーツと労働を行うことで肉体的にも心理的にも治癒力を高められる」「半身不随者を立派な納税者に変える」というグットマンのリハビリ哲学は当時としては革命的な発想だったのである。

 死亡率が劇的に低下する一方、就業可能なまでに健康を回復できた者は急増したのである。この成功例に倣い、やがて英国内の他の医療センターでも積極的にスポーツと労働をリハビリに採用し始めたのである。グットマンの功績を称えた英国政府の某閣僚は45年にこう述べている。「彼のような素晴らしい人材を我々のもとに送ってくれたヒトラーに感謝する」と。

 グットマンが後世に残した最大の功績は国際スポーツ界に新次元を切り拓いたパラリンピックの創始であった。「運動競技大会は健常者だけに与えられた特権ではない」という自身の哲学を世に広めるための場を作ろうとしたのである。彼自身がナチス体制下で虐げられた被差別少数派であったからこそ「弱者の痛み」を踏まえた発想ができたのであろう。

 48年7月、ロンドンでオリンピック大会が開かれるや、60㌔離れた自分の医療センターの芝生で脊椎損傷者のための競技大会を同時開催したのだ。車椅子に乗った僅か16人の選手が洋弓と卓球の腕を競いあったのだ。

 参加者と競技種目はその後増加し、53年には仏、蘭、カナダ、フィンランドからも選手団が参加した。「パラリンピック」の名称を正式に採用したのは60年のローマ大会からであった。以後、オリンピック大会の終了直後から同じ場所で開催されるという今日まで続く形式が整えられたのだ。

 また、近年には視覚障害者等も参加を認められるようになっている。前回、2012年のロンドン大会には164の国と地域から約4200人強が参加している。

 グットマンには日本人の弟子もいた。59年に厚生省から研修派遣された故中村裕医師だ。中村を通じ、グットマン流の身障者スポーツは日本にも導入され、今日の発展を見ることになったのだ。グットマン自身も64年の東京大会開催視察のため来日し、開会式では演説も行っている。盛況をむかえた64年の東京大会は身障者スポーツの何たるかを日本社会に知らしめるという歴史的使命を果たした。

 次回2020年の東京大会では更に深化したあらたな歴史的使命を果たすことを期待したい。

(さとう・ただゆき)