戦後70年の特攻戦没者慰霊

杉山 蕃元統幕議長 杉山 蕃

追悼伝承は国民的課題

若き7000余名の出撃者

 安保法制にかかる国会騒動も終わり、10月は各種の戦没者慰霊行事が行われる時期である。皇室の御出席を賜る千鳥ヶ淵墓苑秋季慰霊祭、靖国神社秋季例大祭をはじめ、各種の行事が全国で行われる。筆者は特攻隊戦没者慰霊に携わっているが、10月25日は神風特別攻撃隊敷島隊関大尉以下5名による最初の特攻隊攻撃が報ぜられた日でもある。終戦70年を経た今日、遺族、戦友、関係者の激減する状況にあり、改めて特攻隊員戦没者慰霊について所見を披露したい。

 世田谷区下馬の閑静な住宅街の一角に世田谷山観音寺という気品ある寺院がある。通称特攻観音とも言われ、特攻隊戦没者慰霊の大きな基点となっている。世田谷観音は、天台宗系の独立寺院、本尊は聖観世音菩薩、国・都の指定重要文化財を有する伽藍である。その一角に特攻観音堂があり特攻観音二体(陸海軍各一体)が祀られている。この小さなお堂は、大変由緒のある格調高いものである。

 戦後まもなく特攻隊戦没者を悼む元皇族、陸海将官の方々の発意により発足した観音堂は、当初護国寺に建立された。東久邇宮が施主となり開眼披露され、特攻観音奉仕会が発足、追悼業務にあたった。しかし、その後の政教分離・左翼的風潮等の嵐の中、行き場所を失うが、世田谷山観音寺太田睦賢和尚の卓見により現在地に移設されたものである。

 お堂は華頂宮家から寄贈された葡萄材による茶室を改修した瀟洒な作りであるが、本尊を収める仏壇は菊の御紋の扉に包まれ、両側に天皇皇后両陛下、左に秩父宮・高松宮・三笠宮御三家の常花をいただく見事なものである。お堂の扉表裏にも菊の御紋章をいただき威容を誇る。

 また、本尊の胎内には、陸海軍の名筆と呼ばれた菅原中将、西岡中将が精魂込めて綴られた特別攻撃隊戦没者7000余名の霊示簿が収められ、荘厳な雰囲気に包まれている。奉仕会は軍籍においても高い才能を発揮された竹田宮恒久王が長年会長を務められ、追悼の誠を捧げられた。この特攻観音堂誕生の経緯に見るように、特攻隊戦没者に対する皇室関係者の思いやりは極めて深いものがあり、大御心の深さに感動を覚える。

 特攻隊戦没者は、戦争末期の約10カ月、比島(フィリピン)、沖縄、小笠原、南西諸島周辺で敢行され、航空機による特別攻撃により約4000名、戦艦大和を含めた艦艇、空挺等により各3000名の計7000名を超える。「絶対死」という厳しい精神状態の中、雄々しく出撃した若い盛りの戦士の方々に改めて衷心より哀悼の意を表するところである。

 特攻隊戦没者の慰霊に関わって最初に驚いたのは、国家的あるいは国民的な慰霊追悼の動きは低調で、遺族、戦友、陸士海兵出身者を主体とする限られた人々による財団法人が、靖国神社、特攻観音奉仕をはじめ各種の慰霊行事を執り行ってきたことである。この状況は現在も変わらず、国・自治体からの手当てはない。しかし、よく考えてみると、特攻隊戦没者は、厳しい精神的状態はあっただろうが、戦地で銃弾に倒れ、飢餓に苦しみ過酷な状況で戦死した一般将兵を考えるとき、特攻隊戦没者のみ特別の処置を講ずるのは、確かに適切ではない。

 むしろ、戦没者全体の追悼、遺族の厚生福祉、遺骨収集といった業務を粛々と続けてきた厚生労働省を主体とする国の努力を評価すべきなのであろう。とは言え、予想外の大量消耗に対処するため、学徒動員に代表される大量の緊急徴兵、急速錬成、そして戦況悪化の中、窮余の策としての特別攻撃の発動の悲劇は、今後とも伝承し追悼の誠を継続し続けるべき国民的な課題であろう。

 しかし、大きな問題は、特攻隊に限らず戦没者慰霊追悼の実活動を支え続けてきた戦友・遺族の高齢化である。おそらく現在の形態は、10年を経ずして変化せざるを得ない。他方、当欄で触れたことがあるように、遺骨収集に献身する若い集団、靖国参拝者年代の若返りなど、次世代の潜在力も高いことも事実である。これらの状況を踏まえ、戦没者慰霊の今後の在り方について、官邸主導による諮問委員会や有識者会議といった格好で意見を集約し、今後に備える時期に来ていると考えている。

 その際、最も焦点となるのは、防衛省・自衛隊の関与である。自衛隊の発足当時は、戦後間もない反戦反軍風潮の中、旧軍との関わりは一切無いとの建前であった関係上、自衛隊設置法等関係法令には、自衛隊の任務に戦没者慰霊という列国軍隊が担っている条項がない。当時の情勢としてはやむを得なかったことは容易に理解できる。しかし戦後70年、旧軍籍を有した人々が激減する中、戦没者慰霊の実務を担当すべき受け皿が自衛隊以外に無いことも事実である。これらの実情を踏まえて総合的に検討される必要がある。

 此の度、天皇皇后両陛下の来春のフィリピン御訪問が報ぜられた。日比国交正常化60周年に当たる公式訪問であるが、陛下のお気持ちを踏まえ戦没者慰霊の行事も行われる旨公表された。フィリピンは大戦で最も多くの戦没者が生じた激戦の地である。今春のペリリューに続く御心遣いに深く感謝申し上げるとともに、我々国民も改めて戦没者慰霊のあり方を再検討し、英霊に、ご遺族にそして内外に誇れる戦没者慰霊事業を確立していく必要を痛感する。

(すぎやま・しげる)