バランス感覚を失う日本人

ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学法学部教授 ペマ・ギャルポ

公益と個益とも理解を

伝えて耳傾ける調和と発展

 かつて国際政治学者の高坂正堯先生は、その著書「国際政治」で勢力均衡について「均衡という考え方は、ただ国際政治において使われるだけでなく、国内政治においても使われる。それだけでなく経済においても医学においても使われている。人間の身体を構成する多くの器官が均衡を保ててこそ人間は健康であると考えられるし、経済についても均衡が破壊されることが種々の弊害を引き起こすと見られる」と述べた。更に先生は「国際政治における勢力均衡は、その目的として各国の独立の維持と無秩序の状態(即ち全体戦争)の回避という二重の目的を持っていた」と記している。

 私は今の日本人の多くにこの均衡というバランス感覚が欠如しているように思う。例えば、個人の利益や楽しみについては極めて敏感であり、さまざまな形で反応するのに、公益に関しては、無意識に鈍感になっているか、意図的に利己主義になっている。つまり、個人の利益は公の利益と直接絡みあっていることに関心が無いようである。

 そのために、日頃個人の利益や家族の利益、会社の利益に関しては神経質というほどやかましくなっているのに、その個人や会社の利益を保護し、発展させるために大きな役割を果たしている国家の利益、つまり、国益を正確に理解しようとする人も少ないのではないか。

 国際社会においても、高坂先生が指摘されている国の独立の維持と無秩序の回避に関して我れ関せずの態度を取ることは、国際社会においても日本は少しマヒ状態にあるのではないかと危惧している。これが一般国民だけならまだしも、インテリや社会に影響を及ぼす立場にいる人々でさえもそうだから、この問題は深刻である。

 今、日本の世論を騒がせている安全保障に対する政府の法整備への議論も法的解釈などアカデミックな立場からの見解の対立にフォーカスし、本来の目的であるはずの国をどう守るかという議論や、日本をも含む世界平和を脅かすような無秩序に暴走している特定の国の脅威などについては、眼中に無く議論の争点になっていないことは残念でならない。今の政権が成し遂げようとしているものは、現在生きている私たちの世界の状況を正確かつ冷静に掌握し、分析しての対応策である。

 私たちは憲法をバイブルや仏教聖典などのような普遍的価値のあるものとしての捉え方よりも、今現在生きている人々の幸福と福祉、国家間の調和と発展、更には世界全体の安全保障を考えて、先人たちが大変な試練を乗り越え、多大な犠牲を払ってきたことに感謝をし、次世代にこの地球をより良いものにして継承させる義務を遂行する責任があるのではないだろうか。

 このバランスの観点から私が気になることは、大学への補助のあり方だ。日本政府は世界の中の日本としてのバランスを取るために、世界に通用する大学、教育の促進を目指して旧帝大などを中心に億単位の補助金を出している。これ自体は良いことに違いない。なぜならば、アジアの100のトップ大学の数でも、中国に追い越されているためである。だが、一方では年々沢山の可能性を持った若者が、経済的事情などで大学を中退している現状にも寛大な救済システムを講じるべきである。

 また、大学のグローバル化を進めるため、英語教育などを中心にこれらの大学に外国人教員を増強する計画も打ち出されている。勿論視野を広げ、地球的規模でものを見るためには諸外国の人々と接し、彼らから学ぶことは貴重である。だが、その一方、外国人の教員を30%にするということは、日本人の教員がその職を得られないということでもある。従って、外国人教員の知恵を拝借しつつ、日本の可能性のある若者をどんどん外国の一流の大学や研究所などに派遣し、見聞を広めて自国の長期的発展のために起用できる人材を作ることが大切である。

 最近、日本の新聞紙上で外国人教員による日本の大学のグローバル化に対し、様々なご意見を拝聴する機会が増えた。彼らの多くが指摘する日本人学生の消極性、例えば質問をしない、意見を言わない、夢を語らない、または夢を持っていないなどについては私も同感である。一方、中国の学生は英語を勉強することに熱心で中国名をナンシー、或いはピーターなどという英語名に変えるという意見には、賛成できない。名前こそ個人のアイデンティティーの原点である。それよりむしろ、日本人は自分の名前の漢字の意味を明確に、英語なり外国語で相手に伝える能力を身につけることが大切である。

 各民族、国はそれぞれ自分の価値観と伝統を持っており、それが時と場合によっては他の民族や他の国との衝突の要因ともなり得る。その衝突をいかに回避できるか、そのための論争、解決のために自らの立場を正確に相手に伝え、説得し、相手の主張にも耳を傾け理解する、その中で勢力の均衡が保てれば、少なくとも衝突を回避し平和を生むことができると考える。