政治家の進退
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
アキレス腱は誰にでもある。政治家は特にそうだ。長所が多くても1、2の弱点のために志を果たせない。孫鶴圭・元新政治民主連合常任顧問も同じだ。彼には人間性、知性美、持続的な意志、自制力など長所が多い。それでもひときわ弱いアキレス腱があった。一つは大衆性の不在、もう一つは“出身成分”だった。
政治家にとっては大衆的人気が命に等しい。彼が争った李明博、朴槿恵、鄭東泳元大統領候補は、言葉も筋道立って巧みで、カリスマがあり、政治的な逸話も多い。彼らと争う孫鶴圭は国民の目にはいろいろ小さく見えたのか支持率は常にそこそこだった。韓国で固い政治的な支持基盤を持とうとすれば、嶺湖南(嶺南地域=慶尚道=と湖南地域=全羅道)出身でなければならない。少なくとも忠清出身ぐらいなら有利だが、彼は京畿出身だ。今の野党に党籍を移した後は、ハンナラ党という“出身成分”が足を引っ張った。消すことのできない“緋文字”だ。いくらよくやっても彼はダメだという、そんな黙約のようなものが内々にあった。
驚くべきことが起こりつつある。孫鶴圭の弱点が春雪が解けるように消え去ったのだ。週刊誌の『時事ジャーナル』が世論調査機関に依頼し、一昨日公開した調査結果によると、彼は湖南地域で次期大統領候補として支持率1位(22・4%)となった。第1野党の文在寅代表、“湖南の婿”安哲秀議員、首都ソウルの朴元淳市長より高かった。
なぜか。4・29再・補欠選挙の惨敗後、新政治連合の動揺するリーダーシップを見ながら、政治家としての進退をはっきりとさせてきた彼の政治哲学を再評価したのではないか。彼は昨年7月の再・補欠選挙で落選した後、すぐに全羅南道康津の“土壁の家”に下った。2008年の総選挙で党代表として敗北した後も忠清で約2年間蟄居(ちっきょ)した。全てのことは相対的だ。文代表が党内の対立をうまく解決していれば、康津の土壁の家は今もひっそりとしていただろう。
康津の土壁の家での生活は淡泊だ。1日1食だけ寺で食べて、朝食と夕食はサツマイモなどで軽く済ますという。時間さえあれば山に登り、思索するのだ。自然は人間にとって師となる。無理はしない。目的より過程が重要だということを教えてくれる。山頂に登ろうとすれば、足元を見て歩かなければならない。自然の教えを一気に学ぶことはできない。孫鶴圭の下山時期は予測できないが、少なくとも寒い冬を2回ぐらいは過ごすのではないか。
(5月19日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。