国家形成を目指すクルド族
IS駆逐で大同団結か
中東に散る3000万民族
40年ほど以前、私がソ連の特派員をしていた時、国際会議でイスタンブールを訪れて、予定よりも滞在を延ばしたためにモスクワへ戻れなくなった。やむを得ず、私は毎朝ホテルの前からタクシーで空港に出向いてウェイティングの登録をしたが、アエロフロートもトルコ航空もずっと満員だった。
何日目かに事情を察知した運転手が「オリエント急行で東欧の国に行けば必ずフライトが取れる」と教えてくれて私は無事トルコを脱出したのだが、たまたまその男がクルド人で、ひどい差別を受けているとのことだった。
私は何度もあの国を旅行していたのにクルド人のことは知らなかったので、トルコの外交官に尋ねてみた。
すると、「クルド人と自称する部族はいるが、彼らは長く山岳地帯に住んでいて、かなりなまりのある高地トルコ語をしゃべるだけで、少数民族ではない」という説明だった。
しかし、調べてみると、それはまったくの嘘(うそ)だった。7500万人の国民のうち、クルド族は約1500万人で、言語はペルシャ語の系統である。その後トルコのEU加盟交渉をめぐってクルド人差別が問題になり、現在はクルド語の放送や出版も認められている。
ごくごく簡略に歴史をたどれば、クルドという名前は古代ギリシャ時代にさかのぼるといい、中世にはかなりの領域を支配していたらしい。
第1次世界大戦でオスマン帝国が敗北・崩壊したのち、クルディスタンの名で独立が認められた。だが、アメリカのウィルソン大統領の「民族自決」の理想とは程遠く、サイクス・ピコ協定によってイギリスがイラク・トランスヨルダン・パレスチナを、フランスがシリア・レバノンを、それぞれ国際連盟の委任統治地として事実上植民地化し、クルド族を無視して国境線が引かれた。そしてクルディスタン国もトルコ民族主義者の国民軍に制圧されて消滅した。
全部で3000万人とも言われるクルド族の国がないことは正義に反すると思われるが、周辺諸国としてはクルド統一国家が形成されれば、かなりの領土を失うことになるから賛成できない。例えばイラクではサダム・フセインがクルド族を制圧するために毒ガスを使用し、それが国際社会の非難を招いて没落の一因となった。
バース党後のイラクは、国民の多数を占めるイスラム教シーア派と旧支配勢力のイスラム教スンニー派と少数民族のクルド族の間で権力の分散を図ることになり、名誉職的な大統領にクルド人を当てている。もっともクルド自治区からは石油産出地のキルクークを意図的に外している。
そこに今変化が起ころうとしている。アサド大統領の強権政治に反対するグループを民主勢力と認定してアメリカやEUが援助し始めてシリアはガタガタになった。シーア派の強国イランはアサド政権を支持し、スンニー派のサウジアラビアは対抗勢力に肩入れしているものの、アメリカやアラブ首長国連邦とは必ずしも一体ではない。特に住民に被害を与えない程度の攻撃では、ロシアが陰で援助するアサド政権を倒すには至らないであろう。
そこにこの混乱に乗じて、アサド排除を標榜(ひょうぼう)する、いわゆる「イスラム国」(過激派組織IS)が出現した。
兵力3万を呼号する「イスラム国」は、あまりにも残虐であり、多くのイスラム教徒を敵に回すことになるだろうが、サイクス・ピコの国境を撤廃するという主張はアラブ人の共感を呼んでおり、さらに、表通りで人種差別を廃止した欧米先進諸国で現実に社会的差別を実感しているイスラム教徒の若者たちを惹(ひ)きつけている。
アメリカはヨルダンをはじめとするアラブの国々を組織して「イスラム国」軍隊を爆撃しているが、自ら地上軍の派遣を避けている。空爆だけで決定的な勝利を収めることはできない。
そこに有力な地上武装集団が現れた。クルド部隊である。まだ人員はそれほど多くはないが、女性も参加しており、非常に勇敢である。すでにキルクーク油田地帯も占領し、将来のクルド国家の形成を目指していることは明らかである。こうした動きは日本でも報じられているけれども、扱いが小さくて、一般には注目されていない。
もしもこれが「イスラム国」駆逐に成功すれば、トルコ・イラク・イラン・シリアのクルド人が大同団結するかもしれない。中東の地図は一変する。
一方で過激なテロ集団はウィルスのように拡散する恐れがある。それを口実に中国やロシアは少数民族を弾圧している。21世紀に平和な国民国家が存続しうるか否かが問われることになろう。
(おおくら・ゆうのすけ)