自殺の特効薬
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
『一輪の花を手折るのは、宇宙の一部分を手折ること。一輪の花を咲かせるのは、数万個の星をきらめかせることだ』。哲学者のオショウ・ラジニーシの言葉のように、あらゆる生命の価値は絶対的であり宇宙的だ。まして万物の霊長たる人間の存在においてはなおさらだ。
3月の春の花がまだ咲いてもいないのに、気の毒な“落花”の便りだ。宇宙の一角が大きな音を立てて崩れてゆく。“自殺共和国”大韓民国では毎日36分ごとに1人ずつ自ら命を絶つ。自殺率は人口10万人当たり28・5人。これは経済協力開発機構(OECD)加盟国の平均の倍以上で、11年間不動の1位だ。漢江(ハンガン)に架かる麻浦大橋(マポテギョ)にはいつの間にか「自殺大橋」という汚名まで着せられた。この瞬間にも多くの若者が死の恐怖を抱きながら漢江の大橋の上をうろついている。
とうとう政府が昨日、特段の自殺予防対策を発表した。学生のスマートフォンで自殺と関連した単語が捕捉されると、父兄に連絡するサービスの導入を推進するようだ。投身を防ぐために学校やマンションの屋上のドアを施錠する案も登場した。自動開閉装置の設置を義務化する法律まで作るのだという。
今度の措置で大韓民国が果たして自殺大国の汚名を返上できるだろうか。「監視」と「義務」が正常に作動すれば自殺の暗い影が春雪のように消え去るだろうか。恐らく首肯する人は多くないはずだ。自殺をするほど極限に追い込まれた人たちにとって必要なのは、監視と義務の重荷ではない。彼らを絶望のふちから救い出すのは、他ならぬあなたが差し伸べる温かい手だ。
ロシアの文豪トルストイがある日、道を歩いていると、乞食が手を差し出した。家から急いで出てきたので財布を持っていなかった彼は、乞食の手を握り締めてこう言った。「兄弟よ、本当に済まない。今は一銭も持っていないんだ」。すると乞食の目に涙がこみ上げてきた。「先生は乞食の私を『兄弟』と呼んで、手まで握ってくださった。私は今まで、これほど大きな贈り物をもらったことはありません」。
一杯の飯は腹をすかせた乞食の当面の飢えを解消することはできる。しかし、彼の飢えた霊魂まで満たしてあげることはできない。絶望する隣人が本当に切実なのは霊魂の糧だ。あなたの体温がこもったセ氏36・5度の手だ。
(3月14日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。