国会議事堂の梟


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 国会が“通法府”という汚名を着せられた時代があった。青瓦台(大統領官邸)の指示を受けて行政府が注文する法案を通過させる下手人の役割を果たした。その時代に比べると国会の地位は蒼海(そうかい)転じて桑田となるくらい大きく変わった。今も政府の注文立法がないことはない。政府が省庁間の意見衝突や複雑な手続きを避けるため、迂回(うかい)して議員立法を活用する“借名発議”が問題にされたりもする。それでも通法府時代とは比べ物にならない。注文生産はさておき、議員があまりにも多くの法案を提出して後始末ができないくらいだ。

 国会議員たちの立法実績競争が熱い。議員たちが発議した法案件数が急増しているのだ。14代国会321件から、15代1144件、16代1912件、17代6387件、18代1万2220件と幾何級数的に増えている。(現在の)19代国会では任期終了まで1年6カ月残した昨年末現在で1万1697件と18代国会全体の発議件数とほぼ同じだ。しかし、発議法案のうち国会を通過する可決率はどんどん低下している。15代国会では40・3%だったが、16代では27%、17代21%、18代は13・5%にまで落ち込んだ。量だけ増えて、法案の質はさっぱりだという話だ。

 誰彼問わない法案発議の弊害が深刻だ。専門性のない議員が特定集団の利害関係を代弁するため、またはポピュリズム的な発想で、財政費用や事後評価などを全く考慮せずに、まずは出してみようという「当たれば儲(もう)けもの」的な無責任な法案提出が少なくない。これに拙速審査まで加勢して不良立法につながれば、その結果は災難となる。意欲が空回りして拙速審査で押し切って誕生した不良立法の完結編“偽金英蘭法”(公職者には抜け穴だらけの「公職者腐敗防止法」)がそれだ。何でも可能になる立法権の乱用をどうやって統制するか頭を悩ませるべきだ。

 知恵の女神ミネルバが連れ歩く梟(ふくろう)は、この世を探りこの世に神の言葉を伝える伝令の役割を果たすという。その梟は夕暮れになって飛び立つと哲学者ヘーゲルは『法の哲学』序文に書いた。全てのことは終わった後になってよく評価できるという意味を含んでいる。韓国社会には、ミネルバの梟のような存在が多過ぎる。解釈したり評価するのでなく、直接出向いて解決することも知らなければならない。国会議員は法の解釈や適用について甲論乙駁(おつばく)するのでなく、いい法律を作る方法をまず学ぶべきだ。

(3月7日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。