春が近づく音


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 春が近づく音は静かだ。春の歌はかすかに聞こえてくる。深い山奥の穴蔵の軒に垂れた数十のつららは春雪が溶けるように溶け去り、大雪が降った後に餌を探して村まで下りてきていた獣たちも知らないうちに元の山奥に帰っていく。雪が溶けて流れる渓谷の水音は清涼だ。

 春が近づく最初の信号は何と言ってもヨモギだ。わが国でヨモギが青く一番早く出てくるのは慶尚南道の統営(トンヨン)周辺の小さな島だ。済州島より気温が温かいので、事実上、ここがわが国で最初にヨモギの味を味わえる場所だ。メイタガレイのヨモギ汁がこの辺りの「味の名品」として定着した理由でもある。

 春の便りが統営の西湖(ソホ)伝統市場から聞こえ始める理由もここにある。「しっかり身の入ったメイタガレイ、新鮮だよ」「メイタガレイのヨモギ汁はうちが最高、本当に最高だよ」。あちこちからはじける商人たちの客引きの声は、冬は既に過ぎ去って春が来たというサインにほかならない。

 春のメッセンジャーは至る所からやって来る。中部地方でも福寿草がつぼみをほころばせたという便りだ。福寿草は春に一番早く花が咲くので“元日草”、雪の中で咲いた様子が蓮の花のようなので“雪蓮花”とも呼ばれる。(全羅南道)海南(ヘナム)・美黄寺の椿、蟾津江(ソムジンガン)沿いの梅、(全南)求禮(クレ)のサンシュユの花もつぼみをほころばせかけているので、春がすぐそこまで来ているようだ。

 春が近づく音はこれだけではない。もう農村は春に備えて忙しい。農夫たちは長い冬の間、だらけた心を立て直して農作業を始めようと足取りが慌ただしくなった。凍(い)てついた畑を耕す女たちの手も慌ただしい。「はいっ、どうどう」と牛を追う男の声はかつて聞いた嬉(うれ)しそうな声だ。

 春といっても誰にとっても春ではない。春の訪れを感じられない人も多い。数百通の履歴書を送っても職に就けない若者の彷徨(ほうこう)は続いており、肩たたきや昇進人事の“割を食った人”にとって春は他人事(ひとごと)だ。買い物かごを眺めてため息をつく主婦たちも同じだ。

 春は始まり、蘇生、誕生、活力の神秘な機運だ。程度の差はあるが、春が近づく音は私たちにとって希望であり夢だ。『冬の間、黒い沈黙で/寒さを耐えていた木には枝ごとに/緑の目を/そして地中の/虫たちにまで目を開かせ給え…』(詩人、朴喜王王●〈=王に進〉『新春の歌』)

(2月28日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。