人民裁判


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 「ある日、“補給闘争”に出ていた隊員たちが10人ほどの反動分子を引っ張ってきた。その中には老人と女性も入っていた。人民裁判が開かれ、殺す方法について意見が分かれたが、結局、棍棒(こんぼう)で処断しようという結論となった。銃で殺すと銃弾が惜しいし、竹槍(たけやり)や刃物で突き刺すと血の匂いが嫌になるというのだった。狭い田んぼのあぜ道で反動分子たちに対する殺戮(さつりく)が無残にも敢行された」

 『実録 鄭順徳(チョンスンドク)』に描写された人民裁判の光景だ。鄭順徳は「最後の女性パルチザン」だ。1950年9月に智異山(チリサン)に入り13年間、韓国共産化のための武装闘争を行って捕まった。善良な民間人たちを虐殺した彼女は2004年に死亡した後、“従北勢力”によって「愛国統一烈士」として蘇(よみがえ)った。殉国先烈(先に殉国した烈士)たちが痛嘆しているに違いない。

 人民裁判は共産主義者たちが大衆を扇動して反動分子を処断する裁判だ。裁判官でなく大衆が検事、陪審となって審理・処決する。恐怖政治の代表的な手段だ。韓国動乱当時、北朝鮮の人民軍による人民裁判で韓国の地主、宗教家、軍と警察の家族など12万人余りが犠牲になった。人民裁判は1948年、第14連隊の一部軍人が起こした麗水順天事件で芽を出した。当時、麗水では1日も休まず人民裁判が開かれて殺人の狂気が都市全体を覆った。身体の一部を甚だしく切断されたり、毀損されて死んでいった婦人警官もいた。その残酷な姿に見る人たちは茫然自失する他なかったという。これこそ“キリング・フィールド”だ。

 小説家、金基鎮(キムギジン)は人民裁判で命を拾った、珍しい人物だ。自身の出版社の印刷工たちが告発し、人民裁判で死ぬほど棍棒で殴られたが、後に奇跡的に蘇った。彼は陸軍従軍作家団に入隊して副団長として活躍し、金星花郎武功勲章を受章した。

 「人民の力で人民裁判廷(裁判所)をつくることが民主共和国を早める近道ではないか」。ソウル市教育庁が最近、特別採用として任用した全教組出身の解職教師が一昨日、フェイスブックにアップした文章だ。キムジョンフン前全教組委員長が民主労総デモで懲役1年6月、執行猶予2年を宣告されたことに対する考えを記したのだという。わが国の司法府の裁判より、共産主義者たちの人民裁判がましだという意味なのか尋ねたくなる。

 寝ても覚めても任用を待つ予備教師があふれている状況だ。品性と理念に問題がある教師を非公開に選ぶソウル市教育庁の意図が気に掛かる。偏向した教育を受けなければならない学生に何の罪があるのだろうか。

(2月7日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。