テロを招いたペンの暴走

渥美 堅持東京国際大学名誉教授 渥美 堅持

危険な異文化への介入

ムハンマド風刺で問題拡大

 新春早々おぞましい事件が花の都パリで起きた。かねてよりイスラーム教の預言者ムハンマドを風刺する画を掲載し、その都度問題を起こしていたフランスの週刊紙「シャルリー・エブド」のパリ本社が襲撃され、編集会議中であった著名な風刺画家3名を含む12名が死亡した。また翌日「イスラム国」を名乗る男女2人がユダヤ教の戒律に基づく商品を販売しているスーパーを襲い5名の死者を出す事件が勃発、2日間にわたるイスラーム過激派の連続攻撃に世界は大きく動揺、改めてイスラーム過激派に対する国際的な団結力が試されることとなった。

 この事件はイスラーム過激派を批判、糾弾する目的で風刺し、話題を提供してきた名高い週刊紙と作者に対する報復として考えられるが、犯人の2兄弟と1人のメンバーは「アラビア半島のアル・カーイダ」に属し、2013年7月17日に米軍によって殺害された「アラビア半島のアル・カーイダ」のナンバー2であった「サィード・ビン・アリー・ジャービル・アン・シフリ」の命令によるものとの報道が流された。もし、それが事実であるとするならば「シャルリー・エブド」攻撃はそれ以前に計画されていたということになり、実行まで2年近くかかったということになる。一方、パリ東端バンセンヌ地区のスーパーに入った2人組は「イスラム国」のメンバーであるとの報道を流したが、なぜユダヤ・スーパーを攻撃したのかその理由は明確ではない。

 ほぼ同じ時に起きたこの二つの攻撃が連帯性を持っていたか否かは明らかにされていないが、「アラビア半島のアル・カーイダ」は「アル・カーイダ」の指導者アイマン・ザワヒリが承認した正式なアル・カーイダ同胞団であることから、本部「アル・カーイダ」との共闘という線も考えられる。いずれにしろ過去の経歴から見て攻撃組の3名を支援した相当数の支援隊が存在し、2年間以上をかけて計画されたものと見られる。

 一方、女性との2人によるユダヤ・スーパー攻撃はアイマン・ザワヒリがその存在を認めていない「イラク・イスラーム国」を継承した「イスラム国」のメンバーであると自ら名乗ったことから「シャルリー・エブド」攻撃班との共闘とは考えられず、異なった作戦を同時に展開したものと考えられよう。

 いずれにしろ、この数年の間に欧米を舞台とするイスラーム過激集団に属していると思われる個人、集団が起こす事件が多発している。それは欧米のイスラーム過激集団と目される集団に対する攻撃が効を奏し、過激集団に参加したイスラーム教徒の間に追い込まれているとの危機感が生まれ、その結果、行き先を失った過激派教徒の焦りにも似た行動の結果かも知れない。しかし、いずれにしろ冷戦崩壊後、中央アジア諸国に生まれ、やがて消滅したイスラーム国の残映のように国際社会で危険な活動を拡散させていることは間違いない。

 このような状況で生まれた「言論の自由」の名の下で展開されているイスラームの預言者ムハンマドに対する風刺は、イスラーム過激派ばかりでなく過激派とは大きく一線を引く一般のイスラーム教徒に大きな影響を与える可能性が高い。それはイスラーム世界をより過激化させる環境を与える可能性をもたらすものである。たとえ「言論の自由」「表現の自由」が人間にとって重要なものであっても「異文化への介入」は非常に危険な環境をもたらすものであり、「平和的環境に住む権利」を有する人間の行う行動ではない。

 その意味で、もし「シャルリー・エブド」の風刺対象がいわゆるイスラーム過激派もしくは過激派指導者に限定されていたら問題は低いレベルに留まったことであろう。しかし、風刺の対象を預言者ムハンマドに定めたことが同紙への批判を全イスラーム世界に拡大することとなったことは否めない。その理由は預言者ムハンマドの名はイスラーム教徒にとってイスラームそのものを示す名前であり、単なる歴史上の宗教指導者を指す言葉ではないからである。

 イスラーム教徒はイスラーム教徒になるとき、「アシュハド・ラーイラーッハ・イッラーッラー、ムハンマド・ラッスールッラー(私は宣誓する。アッラー以外に神はなく、ムハンマドはアッラーのメッセンジャーである)」とイスラーム教徒の前で宣誓し、イスラーム教徒になる。この意味するところはムハンマドの言葉はアッラーの言葉であり、それを信じる者がイスラーム教徒となるというものである。それゆえ預言者を風刺することはイスラーム全体を風刺することになり、明らかに「異文化への介入」と言う人類共存の原則に反する行為となる。

 「ペンは剣より強し」という言葉は民主主義と自由を象徴する言葉として伝えられているが、これまでの歴史に見られるが如くペンの暴走は剣より深く人の心を傷つけ、生きながら地獄の世界へ導くことになる。ペンをもって己の存在を試みる者は、時には「ペンは剣より強し」という言葉を噛みしめ、ペンを持つ者の礼儀としてそれを自覚する必要がある。ペンは人を傷つけてはならない。ペンこそ正義の剣であり、それゆえペンを汚すことはできないからだ。

(あつみ・けんじ)