人生馬死の悟り


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 新年を控えてある親戚(しんせき)が本を送ってくれました。包みを解くとこんなすてきな内容がありました。牛と馬の話です。2頭が貯水池に落ち込んだら2頭とも泳いで外に出てくるといいます。泳ぎの実力 は足さばきがうまい馬がはるかに優れています。牛より2倍くらい速く泳ぐといいます。

 しかし、洪水の川に落ち込むと事情が変わります。牛は生きて出てきますが馬は溺れ死にます。その理由はこうです。馬は泳ぎの実力を信じて流れに逆らって泳ごうとします。しばらくもがいたあげく力尽きて死んでしまうのです。反対に牛は流れに勝とうとしません。ただ流れに身をまかせて流されながら少しずつ外の方に泳ぎます。そうして2~3㌔下るとついに川岸に足がついて、のそのそと這い出てきます。牛生馬死の知恵です。

 暮れゆく午(うま)年を顧みます。1年間、あまりにもあくせくしたのではないかと自分の姿を鏡に映してみます。馬のように前だけを見て走り川の流れや人生の重さを十分に感じとれなかったという悔恨が胸を打ちます。

 ある宣教師がアフリカ宣教に行って、むしろ大きな教えを学んだといいます。原住民たちと一緒に川を渡ろうとして、おかしな光景を目にしました。原住民たちは各々大きな石を頭に載せたり胸に抱いたりして渡るのです。宣教師にも大きな石が一つ渡されました。彼は「そのまま渡れば簡単なのに、無理に重たい石を抱いて行くのか」と思いました。宣教師は川の真ん中あたりまで渡って、初めてその理由が分かりました。もし重い石がなかったら急流に飲み込まれるしかなかったという事実をです。

 私たちの人生の川は目に見える川よりもはるかに大きく流れも速いのです。流れに飲み込まれないためには、各々が大きな石を一つずつ胸に抱かなければなりません。石の名は人生の重さといい、謙遜ともいいます。呼び方は人によって少しずつ違い得ます。しかし、心に刻むべきは流れに逆らう驕慢は絶対にダメだということです。新しい未年が明けようとしています。未(羊)は謙遜と従順の象徴だという事実を忘れないでください。

 牛馬の話をしていたらいつの間にか人馬の包みを解いてしまいましたね。心に刻んでください。人生の川を渡る知恵は自分を低くする心にあります。謙遜が人を生かし、驕慢が馬を死なせます。人生馬死です。

 (12月29日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。