教育の目標を明確にせよ宮川典子 衆議院議員に聞く(自民党)
――党では教育再生実行本部の副主査、国会では文部科学委員会に属し、教育改革に取り組む環境が整ったが。 党実行本部の「新人材確保法の制定」の分野で副主査という役目をいただいたのは、1期生として分不相応というぐらいありがたい。教師力の向上を目指す分野で、まずは現場で頑張っている先生方が報われるような環境づくりをする。もう一つは、今、何だか分からないうちに教職課程をとって、何となく学校の先生になったはいいけれど責任が大き過ぎて、というパターンが多いので、養成と採用、研修を一体化して、退職の時まで段階的にスキルアップしていける制度を作りたい。
――現場教師の経験から、最も大きな改善すべき点を挙げるとすれば。
これ一つということはなかなか難しいが、一つだけ挙げるとすれば、教育を何のためにやるのかという思想、目標のようなものが今の教育の中にはない。例えば、先生方の養成の段階においても、次世代を育成するとはどういうことなのか、人とはどういう存在であるかという、教育に携わる者としてはすごく重要な人間観、倫理観、哲学みたいなものが完全に欠けている。
教育行政の面で見てみても同じで、小学校の時から英語教育をして国際的な人材にするというが、育てた後で、その人たちを国としてどう生かすのか、民間としてどう生かすのかという目的が曖昧だ。漠然とグローバリズムに対応できる人を養成すると言っているが、では、それに対応できる人を育成した上でどういう国づくりをしていくかという、ホップ・ステップ・ジャンプの、ステップからジャンプに移る最後の目標が薄い。これが一番現場が悩む部分だ。
――具体的には、どんな問題が起こるか。
指導要領が変わるたびに、示される方針が変わってしまう。理科だったら、以前は化学に力を入れましょうと言っていたけれど、今度はいきなり生物になるとか、物理になるというように方針が変わる。教育活動は積み重ねだから、時間をかけて準備してきたものも現場で使えなくなってしまう。
道徳の教育に環境整備を
――子供を育てる時に、何をもって大人というかは難しい。体だけは大人になっても心は子供という人たちも増えている。 どういう子に育てていくのかは十人十色だという意見もあるが、でも、やはり日本人として、大人としてこれだけは身に付けておくべき素養というものがあるのだとしたら、それを明確に身に付けられる制度、環境をつくらなければならない。
心の問題をやらなければならない、道徳教育を強化しましょうとは、誰もが言うことだ。しかし、実は学校の先生で道徳の免許を持っている先生は誰もいない。席を譲りましょうとか、あいさつをしましょうとか、社会的ルールを教えるのはしつけの範疇であり、必ずしも「道徳教育」とは言えない。例えば、お年寄りに席を譲った時に「ありがとう」と言われた時にどう思うかを考えさせるのが、子供たちにはとても重要だ。逆に、自分は何の気なしに善意で譲ったけれども、「ばかにするんじゃない」「私は老人じゃない」と言われた時に、子供たち自身がどう感じ何を思うかを知っていくこと、つまり自らの心の動きに向き合うことが、本来あるべき道徳教育の姿だと思う。また、良心の呵責というものを教えることも大切だ。
――道徳に免許がないことの弊害は。
道徳というのは道、生き方を教えなければいけないので、先生もそれなりの勉強が必要だし、担保される免許がなければいけない。免許に裏打ちされない、知識のないものを先生たちが積極的に教えるわけもなければ、それを子供たちの心の中に浸透させていくことは難しい。
道徳の話一つしても、目標もなければ、それだけの制度、環境もそろっていない。語弊を恐れずに言えば、精神論、感情論で補ってきた部分が日本の教育には多い。それを乗り越えて、教育大国として“ステップ・ジャンプ”するには、明確な目標とそれに対する環境整備をすることがまず先決だと思う。
(聞き手=武田滋樹)