ノーベル賞とユダヤの恩師
日本人の化学賞に寄与
欧米の学界で非白人に同情
ノーベル賞を受賞した日本生まれの科学者は通算19人。そのうち7人までが化学賞の受賞者である。国別では米、独、英、仏に次ぐ世界第5位だ。それ故、「化学は日本の御家芸」という呼び声も聞こえてくる。化学合成によって新たな物質を生み出し、資源に乏しい日本が生き延びてゆくための原動力にしたいという日本国民の悲願の結晶といえよう。
実はこの7人のうち、4人までがユダヤの恩師、共同研究者により多大な学恩を被っているのだ。日本化学界のトップランナーの多くはユダヤに育てられたと言っても過言ではない。その代表が2010年に共同受賞した根岸英一と鈴木章だ。ふたりを育て、ノーベル賞に推した恩師がウクライナ生まれのユダヤ移民で米パデュー大学教授、ハーバート・ブラウンだ。
ブラウン自身も有機合成法の開発で79年ノーベル化学賞を受賞したのだが、弟子の根岸と鈴木は師が切り拓いた有機化合物の分野で更なる革新的合成法を開発したことが受賞理由となったのだ。有機化学の実験は沢山の試薬を少しずつ条件を変えながら試してゆく大変根気のいる作業のため、我慢強く、細やかな気配りが得意な日本人に向いているのだ。
ブラウン教授は日本人の勤勉性を高く評価し、日本人研究員を好んで採用した節がある。
教授は一対一の指導に多くの時間を割き、実験ノートの書き方等、研究に必要なイロハを熱意を込めてふたりに教えた。とりわけ重要だったのは発見の芽が出てきた時、それを大木に育てるために必要な網羅的実験・探索法だった。恩師直伝のこの手法をふたりは我が物としたのであった。
ブラウン教授のもと博士研究員、助手として仕えて6年が経ち、そろそろ助教授昇進の適齢期を迎えた72年、根岸は空きポストのあるシラキューズ大学に応募した。この時、根岸の業績と将来性を評価し、250人以上の応募者の中から採用してくれたのがロシア系ユダヤ移民の学部長であった。この学部長は根岸が自分の研究室を運営する際に必要な博士研究員任用予算を潤沢につけてくれたりもした。その事には根岸も大変恩義を感じているのだ。前任校パデュー大学に続き、移籍先のシラキューズ大学においてもユダヤ系の先達が根岸を助けたのだ。
欧米の学界において日本人研究者は時として差別に遭遇することもあるが、そうした中、ユダヤ系が助力の手を差し伸べてくれる事例は結構多いのだ。少数派として常に孤立を強いられてきたからこそ、他の白人よりも我々非白人に対し同情を抱くことができる立場にあったと言えよう。
2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹もユダヤの恩師との共同研究で偉業を成し遂げた化学者だ。恩師の名はアラン・ヒーガー、ロシア系ユダヤ移民の第2世代だ。
ペンシルヴァニア大学教授だったヒーガーと同僚のマクダイアミッドは「導電性高分子の発見」という研究目標実現のために、東工大助手の白川を共同研究者として招いたのだった。
成功の鍵は化学と物理学の異分野融合チームの編成にあった。高分子化学の白川と無機合成化学のマクダイアミッドが新たな物質を作り、物性物理学のヒーガーがその性質を探るという役割分担だ。3人は不純物を混ぜたポリアセチレン(ゴミ袋に用いるポリエチレンの親戚)が銅にも匹敵する導電性を持つという大発見をしたのだ。この物質、導電性ポリアセチレンという電気を通すプラスチックを発明したことがノーベル賞受賞につながったのだ。この物質は今日、携帯電話やパソコン内部の蓄電器として広く使われている。
原子が結合したり、その結合が崩れたりする変化を化学反応という。化学反応はいかにして生じるのか。その答えを導き出したのが日本人化学者福井謙一と在米ユダヤの有機化学者ロアルド・ホフマンだ。彼らは分子の周りを飛び回っている電子の軌道を計算することで化学反応のメカニズムを解明したのだ。
この功績によりふたりは81年、ノーベル化学賞を共同受賞。福井は日本人としては初めての化学賞受賞となった。両者の交友の始まりは65年。それ迄、学界で無視されてきた上述の福井の理論をホフマンが判り易い解説で紹介したことにより、福井の理論は先駆的業績として注目を浴び、後のノーベル賞につながったのだ。この援護射撃を機に両者は親しい学問的交流を始めたのだ。
80年代以前、日本の化学研究は圧倒的なアメリカの影響下に置かれていた。豊富な資金力と研究環境が整備されたアメリカは日本人研究者にとり、憧れの理想郷であった。彼らを出迎え、共同研究者として受け入れてくれた在米の指導的研究者の相当部分はホフマンがそうであったようにナチスの圧制を逃れ渡米した亡命ユダヤ系学者であったのである。(敬称略)
(さとう・ただゆき)