母親の風呂敷包み


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 動物においても母性愛は偉大だ。成長したメス2匹のどちらが親かを選(え)り分ける方法がある。まず4日間、何も餌を与えずに飢えさせる。その後、2匹の間に餌を入れた器を一つだけ置くと、必ずその器を横に押しやる方が出てくる。それが親だ。夢中で餌の器に飛びつくものがいれば、十中八九、それが子だ。

 そんな動物の愛とは比べ物にならないものがある。人間にとって、母親とは純度100%の愛そのものだ。韓国歌曲の先駆者、李興烈(イフンリョル)の成功の裏にも母の愛があった。日本統治下に、彼は音楽家の夢を抱いて東京に留学した。貧困のために留学生活は苦労の連続だった。卒業が近づくと、彼は卒業演奏に使うピアノが買えずに途方に暮れた。結局、故郷に手紙を送った彼は、母親が送ってくれたお金で無事、演奏を終えることができた。

 当時、ピアノの値段は400円だった。米一俵の値段が10円の時代だったので、今の相場に換算すると、700万ウォンくらいになる。貧しい暮らしの中でそんな大金があるはずはなかった。母親は借金を返済するために毎日、松かさを集めて売ったという。「産む時の苦しみは全て忘れ、育てる時は昼夜気遣う心…」。こんな歌詞で始まる名曲『母の心』(李興烈作曲)は、至高の母性のおかげでこの世に誕生することができたのだ。

 世の中がいくら世知辛くても、私たちがこれだけ愛の温もりを感じることができるのも母性愛のおかげではないだろうか。70歳を目前にした認知症のお婆(ばあ)さんの子を思う母の情が感動を呼び起こしている。少し前、釜山のある派出所に「風呂敷包みを持ったお婆さんが独りで近所を行ったり来たりしている」という知らせが入った。出動した警察が、住所を聞いても老婆は自分の名前すら覚えておらず、「娘が子供を産んで病院にいる」とだけ繰り返した。あちこち探してやっとのことで娘が入院する病室にお婆さんを連れて行くと、娘は2日前に出産した赤ちゃんと一緒にベッドで寝ていた。お婆さんはその時初めていろいろな物が入った風呂敷包みを解いた。冷え切ったワカメスープとナムルのおかず、白飯が入っていた。「早く食べなさい」。認知症でも娘を愛する心の柱を失わなかった母親の情の前に、娘は止めどもなく涙を流した。

 母の愛はきらめく地上の星だ。感動の泉の水をくみ出すワカメスープであり、松かさだ。母親の風呂敷包みにはそんな愛がいつもいっぱいだ。

(9月22日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。