中国を利する「琉球」学会

太田 正利評論家 太田 正利

付け込まれる独立研究

団結して領土・住民を護れ

 南太平洋において、ヴェトナムやフィリピンが中国とそれぞれの海域の諸島を巡って紛争を生じている。この問題は他人事ではない。第2次大戦の頃は「新南群島」として日本では自国領土・領海と認識されていたのである。何が領土・領海であるかは、国際法に照らして判断されるべきものだが、問題は複雑怪奇としか言いようがない感じがする。わが国については、先の「尖閣列島」問題では国民の認識が深まり、いまやその列島の日本所属については確たる信念を持つに到っているようだ。

 さて、今回の主題たる「沖縄」とは何か。これらの島々は「琉球」とも言われるが、実は、この表現は中国側からの呼称である。14世紀に沖縄島に「北山・中山・南山」の三小国家が出来、後に中山により統一王朝が樹立された。当時は明に朝貢し、中国文化を輸入していた。1609年(慶長14年)、薩摩藩に征服されたが、大陸との関係も維持していた。

 1872年(明治5年)、明治政府は、ここに琉球藩を設置し、その後1879年王国体制を解体して沖縄県を設置した。この所謂(いわゆる)「琉球処分」については、「対清国対策」と「琉球国内での反乱緩和」が大問題だった。詳細は省くが、明治政府は、絶妙な対琉球及び対清国家交渉により、正式な日本所属の沖縄県の誕生をもたらしたのである。

 当時、琉球の島民の間でも「日本側に付くか?」、「清国側に付くか?」、「今まで通り両国支配体制を維持するか?」で諸説混沌としていたようだ。中でも清国派の急進分子は清帝国に直接救済を訴える等の行動を取り、一歩間違えれば琉球反乱のみならず、これにより清国軍隊の攻撃を誘発する危険すらあった。いずれにせよ、日本領土として確定した沖縄は、第2次大戦において米軍の攻撃を受け、多大の損害を被ったことは日本人の記憶になまなましい。

 大田実海軍中将は玉砕寸前「沖縄県民斯ク戦ヘリ…県民ニ対シ後生特別ノゴ高配ヲ賜ランコトヲ」との電文を発した。事実、沖縄戦は3箇月持ちこたえたが、6月になって牛島中将等の自決で終焉(しゅうえん)したが、日本軍(義勇兵を含む)の死者約11万、10万の一般市民も運命を共にした。

 筆者は、外務省在勤中(当時は内閣総合安全保障担当室長)に沖縄本島を視察し、退官後も1回ここを訪問したが、その歴史的建造物や風景等に感動させられた。平成12年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名で、今帰仁(なきじん)城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城(なかぐすく)城跡、首里城跡、園比屋武御岳石門、玉陵、識名園、斎場御岳が世界文化遺産に登録された由。それだけ価値あるものとの認識が深いのであろう。

 ところが、最近中国共産党系メディアにおいて沖縄の領有に関する挑発的な論文が見られるようになった。6月14日付夕刊フジによると、李克強首相が、昨年5月の訪独中ポツダム会談の会場跡地を見学した際、「カイロ宣言は日本が中国から盗み取った領土を中国に返還するよう規定している」などと発言している由。

 中国の立場は、1972年5月の米国による日本への琉球(沖縄)返還は日米2箇国間の授受であって中国は承認せずとしており、かかる立場をロシア、ドイツ等欧州諸国に向け発信している。例のとおりの情報戦のほかあらゆる手段を利用し、第2次大戦後の欧米流世界地図やルールを謂(い)わば自分流にリセットしようと必死に動いているようだ。

 ここにまた一つ懸念材料が生じた。沖縄祖国復帰41周年だった昨年5月15日、沖縄に「琉球独立」を目指す学会「琉球民族独立総合研究学会」が発足した。世界日報平成25年5月22日付によると、会員資格は「流球の島々にルーツを持つ琉球民族」に限定されている由で、当然ながら「ヤマトンチュウ」は排除されている。「排外主義でも対中従属でもないと」中国との関係を否定する向きもあるが、かかる運動が中国を利することや必至である。

 南シナ海や東シナ海で「暴れて」いる中国が台湾併呑は当然のこととし、尖閣諸島の実効支配、さらには沖縄本土の奪取をも視野にいれているようだ。他方、「沖縄タイムス」や「琉球新報」は中国の脅威をまともに論じていない由だ。ただ、救いは、沖縄県が昨年に行った「中国に対する意識調査」だ。河添恵子女史の分析(「夕刊フジ6月14日」)によれば、県民の9割近くが「良くない」「どちらかといえば良くない」印象を持っているようだ。県民は徐々にではあるが、「国防」を意識し始めているといえよう。

 最近注目を浴びたウクライナ騒動は、ロシア系住民(東部)とウクライナ系住民(西部)との間の軋轢(あつれき)には歴史的背景があり、西側は旧ポーランド王国時代があったが、東側は旧ロシア帝国時代に占領された。それぞれ、ユダヤ人問題(市民によるユダヤ人迫害)やホロドモール(ソ連政府による計画的飢饉(ききん))を経験していた。これら騒動には多かれ少なかれ宗教問題が係わっている。

 幸いなことに、沖縄については宗教問題は無いといえる。ただ、うかうかしていると、大陸の勢力に付け込まれ、何時ここに中国傘下の沖縄諸島が浮上するやも知れぬ。日本人が一致団結して自己の領土・住民を護り抜かねばなるまい。

(おおた・まさとし)