閣議決定した集団的自衛権

杉山 蕃元統幕議長 杉山 蕃

強固な日米同盟の基盤

集団安全保障参加へ議論を

 7月1日の安倍内閣による「集団的自衛権に関する憲法解釈の変更に関する閣議決定」が行われ、我が国の安保態勢は新しい段階に入った。憲法9条をはじめとする一連の法制体系が、国際環境の変化に対応せず、旧態依然たる一国平和主義と言われる我が国独特のものであることは事実である。そのため、国際協調の見地から、自衛隊が海外において行動する場合、所謂(いわゆる)「グレーゾーン」的状況の生起を考慮し、その都度「特別措置法」を制定、厳重な制約を設けて、特別な場合として対応してきたのもご存じの通りである。

 今回の「解釈変更閣議決定」は、1947年以来続く「集団的自衛権即憲法違反」とする意固地とも見える解釈にメスを入れ、容認される場合もあるとしたものであり、当を得た決断と言える。勿論(もちろん)、憲法改正という本来的な手法が望ましいが、9条以外の改正問題もあり、時間がかかることは目に見えている。今回の閣議決定内容を見ると、所謂「新3要件」をはじめとし、国会決議を前提とするなど、従来の判断と大きく異なることはなく、グレーゾーンと言われる曖昧にされてきた事態などに根拠をはっきりさせる姿勢が顕著である。いつにかかって、今後どのように関連法を整備していくかに懸かっていると言えるだろう。

 今後の展開について、筆者の期待は大別4項目に分けられる。まず第一は、法制整備、日米防衛協力指針見直し、日米共同作戦研究作業等が今後継続して行われることとなる。そしてこれらをベースに、共同訓練、共同演習が積み重ねられ、これら一連の努力を通じて、我が国防衛、周辺事態対応の一層の堅確化が図られることとなる。これは平時における軍運用の基本である。

 その結果、東アジア地域の不安定な動向に対する抑止効果が増大し、地域の安定がさらに助長されることである。尖閣・竹島・北朝鮮問題など決して波静かではない我が国周辺の動静であるが、日米同盟の基盤を更に強固なものとし、安定促進に向かってほしい。

 第二は、今後も活躍が見込まれる自衛隊の海外活動に関連し、武力行使と「武力行使にあたらない武器使用」との差を明確にし、PKO、邦人救出等における部隊保全権を、警察比例の原則にのっとり確保してもらいたいと考えている。復興活動に携わる自衛隊の警備を他国に委ねる、あるいは、警備部隊が攻撃を受けたら「情報収集のため駆けつけ、巻き込まれ、いわゆる自衛処置として武器使用に及ぶ」所謂「駆けつけ警備」的発想に立たなくてもよいように、確立した対応が可能なように改善されることが必要である。

 軍の海外活動は、当然マスコミはじめ諸外国軍関係者の耳目を集める。このような中で、わが自衛隊が精錬な部隊活動と、行きわたった規律・法制を披露することは、大きな意味で我が国への信頼感を拡大し、ひいては我が国の安全保障の背景ともなる。何より派遣される自衛隊員にとって「完結した行動力」は、彼らに対する国が保障すべき必要不可欠なものなのである。

 第三は最近論議が高まっている集団安全保障に関する件である。第1次安倍内閣で設置された総理諮問機関たる「安保法制懇談会」が、憲法9条は集団的自衛権の行使並びに国連への集団安全保障への参加を禁ずるものではないとした報告書を08年6月に福田康夫首相に提出した。爾来、シーレーン防衛、海賊対処、核開発違反等のケースで、集団安全保障参加論議が高まっている。

 しかし、最近の国際情勢では国連決議自体は、安保理常任理事国の拒否権によって、簡単に成立するものではない。イラク戦争、北朝鮮核開発制裁等の事例でも明らかなように、国連決議のみではなく、さまざまな形での国際協調、共同活動が考えられる。これらへの対応について、今後十全なる検討が必要であり、集団的自衛権と並んで法制整備の過程で論議を尽くしてほしいと考える。

 最後に最も重要なことは、過去69年積み上げてきた平和に対する我が国の基本的姿勢の堅守ということである。戦後一貫して我が国が示してきた平和国家としての行き方は国際間に定着しており、軍事的膨張あるいは「先軍政治」といった不安定化をもたらしている周辺国と異なり、高い信頼感を獲得していることは誇るべき実績である。この行き方は今後とも堅持されることは、閣議決定にも繰り返し強調されている。

 半面、有力メディア、左翼政党、一部の学者は「戦争への道を開くもの」と、集団的自衛権即戦争参加と言わんばかりのキャンペーンを張り、国際情勢の変化に客観的視野を持つことをしない。このような批判を退けるためにも、戦後久しく築いてきた「平和と安定」を希求する姿勢を堅持し、今回の決定が、我が国の危機管理が一層成熟していく過程であることを内外に示していく必要がある。

 思えば戦後69年、戦争世代も戦後世代も表舞台から姿を消し、民主主義の定着した時代に育った年代が中核となる現在、敗戦により左に振り上がってしまった時計の針を、本来の位置に戻す確かな一歩を踏み出した感のする決定である。更に慎重に舵(かじ)を切ってもらいたいと、心から応援するところである。

(すぎやま・しげる)