「力無き正義は無効」の危機
大軍拡中国の影響深刻
絶対必要な周辺国との連携
国力とは、国が保有する自然、国民、軍事力、技術力、経済力等種々の力の総合である。国が国際関係において紛糾し、命運をかけようとする緊急事態において、軍事力は最大の影響力を持つ。軍事力の評価はその質、量によるが、軍事費によって概ね判断できる。
わが国の軍事費(防衛費)は世界の主要16国の中、第6位であるが、対GNP比1%を基準としている。しかも、隊員は志願制であるため、人件、糧食費の防衛費に占める比率は高く、約45%である。平成19年、4兆9392億円をピークとして、その後11年間は減少を続け、平成25年は0・8%増で4兆6804億円、引き続き今年は、2・2% 増で4兆7830億円である。なお、中期防(平成26年から30年までの5カ年計画)による予算は24兆6900億円である。中国は日本の防衛予算について「地域の緊張を高める」と批判している。
中国は3月18日、全人代で今年度軍事予算を決定した。総額8082億3000万元(13兆4400憶円)である。経済成長率7・5%と低下しつつあるにもかかわらず、昨年より12・2%増である。平成25年版防衛白書によれば。「公表国防費名目上の規模は、過去10年間で約4倍以上となっている。また、この公表額は実際に軍事目的に支出している額の一部に過ぎず、一般には2倍と推測されている」としている。
産経紙によれば、3月28日、訪独中の習中国主席はベルリン市内で講演し、次のような要旨の対日批判を陳述した。「日中戦争時、日本の軍国主義で3500万人の死傷者が出た。また、日本軍の南京占領時30万人以上の兵士、民間人を殺害する巨悪な罪を犯した」として、異例の日本批判をした。一方、ユダヤ人を大量虐殺したドイツは罪を清算したと評価したうえ、ジョン・ラーベ氏の南京日記を絶賛した。そして、「中国人は自分にされたくないことを、他人にしてならないとの信念を持っている」などと語り、中国は周辺地域の平和と安定を望んでいることを主張したという。
果たして、そうであろうか? 「中国の夢」の実現を熱望し、驚異的大軍拡に邁進(まいしん)する中国を、アジア、太平洋諸国は脅威に感じていよう。また、中国が昭和49年、ベトナム領西沙群島占拠、平成7年、フィリピン領南沙群島のミスチーフ礁を占拠し、中国漁民の避難施設を構築していることを忘れてはいない。
ロシアは、軍事介入によりクリミアの独立を支援し、欧米諸国の強い反対にもかかわらず、自国に併合した。国連憲章第1条4項には「国際関係において武力による威嚇または武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものにも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも、慎まなければならない」と明示している。ロシアの行為は明らかに違反であり、黙認すれば国際秩序の破壊に発展しかねない。「力なき正義は無効であり、正義無き力は圧政である(パスカル)」。
3月24日付「AERA」は、「米国が警戒“危ない男” 同盟国の保守派も危ぶむ日本のナショナリズム」と題して安倍総理を非難し、今の日本は東アジアの安定を脅かし、米国に厄介者と見られていると述べている。その批判は、米国世論の主流だとして米有力紙の社説を引用し、最後に、テンプル大学日本校、現代アジア研究所長の次の言葉で総括している。「安倍政権がアジア情勢を不安定にし、米国の利益を損ねているという批判は決して米国の一部ではなく、大勢の見方を反映したものだ」。
同盟国米国の民衆でも、日本が一国平和主義から脱却し、普通の国になろうとするのに、帝国主義への復活と見るのであろうか。否、驚異的増強を推進する中国との対決を回避したいためであろう。中国もまた米国との対決は回避したいであろう。韓国と連携し、国力を背後にして、3戦(世論、心理、法律)を強力に推進し、反日運動を広く国際的に展開し、日本の孤立、少なくとも日米同盟の弱体化を期待していよう。
日本の国力、特に軍事力は、中国と総合的に比較すれば大差があり、日米同盟及び周辺諸国との連携が絶対必要である。自分達は正しいと思っても、甚だしく国益の損失を生じる恐れがあれば、考え直す価値はある。思うに,日本人は謙譲を美徳とし、論争を好まず、「沈黙は金」とまで言ってきた。しかも外国語に弱い。残念ながら中国の3戦は成果を上げつつある。
自民党は中韓の反日宣伝対策として、国際情報検討委員会を新設したようである。委員会は米国での中韓両国の宣伝活動を調査のため、米国に情報戦略拠点を設置し、首相の靖国参拝や慰安婦問題等について、歴史認識による誤った情報が国際社会に流布することを阻止するためである。しかし、このような重要な3戦対策は、国家安全保障会議で策定すべきであり、外務省のみに任せるのではなく、NHK等のメディアはもとより、各界の対外関係者は対中国3戦の戦士であるとの自覚が必要であろう。
(たけだ・ごろう)