「幸福論」の精神的復元力

根本 和雄メンタルヘルスカウンセラー 根本 和雄

心の折れない生活術を

できることから着手せよ

 ストレス社会の昨今、人々の心は萎(な)えて枯渇し、知らず知らずに〈ネガティブ・マインド〉に陥っているのではなかろうか。

 確かに、人間は恰(あたか)も一本の葦(あし)の如き存在で弱く折れやすくありつつも、時には強靭(きょうじん)で強(したたか)さをも秘めているのではないかと思う。その内に秘めている図太く折れにくい生き方〈レジリエンス〉(精神的な復元力)の生活術を先人の知恵に学んでみたいと思う。その一人に、我が国でもよく知られている『幸福論』の著者・C・ヒルティの人生哲学から汲み取りたいと思うのである。

 C・ヒルティは、ケーベル博士(東京大学哲学・講師)によって我が国に紹介されて以来、今日に至るまで実に多くの人々に親しまれている。ケーベル博士は、C・ヒルティを生涯の伴侶の一人としてこう語っている。

 「彼の著書のどこを開いても、明瞭に単純にかつ決然として述べられた卓越せる思想に出合う。これは、思想が強固なる信念と該博なる人間知識と内面生活の深大の経験とに基づくことを物語るものである。…(省略)彼はすでに自分自身の始末のついた独立自足の完成せる人である。したがって彼のごとく、若き人々の師となり友となるに適せる者は、近代の著作家中きわめて稀(まれ)である」と(「幸福論(第一部)」草間平作訳・序)。

 さて、その『幸福論』(1891~99)の著者カール・ヒルティ(1833~1909)は、スイスの法学者で教養豊かな思想家であり、スイス陸軍の裁判長や弁護士の経歴を持つ、国際法学者として、ベルン大学の教授となった。若い頃から古典学や英独仏文学を広く学ぶとともに何よりも熱心に聖書を読み、法律学を講ずるだけでなく、学生の人格形成に深い関心をもち、その深い教養、思想、信仰から若い人たちの心に浸透する精神の糧を豊かにそそいだといわれる。

 そのヒルティの『幸福論』が、いま我が国の置かれている状況と、どのように関わりをもつのであろうか。3年前の2011年3月11日、これまで経験したことのない東日本の大地震に遭遇し、多くの人々は心の拠りどころを喪失し、悲嘆に陥っていることを思うにつけ、どのように生活を建て直し、真の幸せとは何であるのか、心の折れない生活術をそこから汲み取り、人生を豊かに生きる要諦を考えてみたいと思うのである。

 その主な内容を要約すれば次の通りである。

 できることから、まず着手すること 仕事の基本は「とにかく始めること」である。即ち、“気乗りや気分などの準備に長い暇をかけないこと”で、仕事を始めれば自然に気分は湧いてくるというのである。

 時間を得る最良の方法は、規則正しく働くことである つまり「規則正しい仕事こそ、とくに中年以後は、精神と肉体の健康を保つための最上の方法である」という。そして、「健康を維持する最上の方法は、節度ある規則正しい生活法である」と。健康は貴重な宝である。しかし、“病気もまた大きな幸福となりうる。健康なときにはなしえなかったであろうと思われる、より高い人生観への突破口となることができる”という。

 時間節約の方法の一つは、仕事の対象を変えることである 言い換えれば「仕事の変化は、ほとんど完全な休息と同様の効果がある」というのである。

 休養のうち最もよいのは、睡眠である その眠りは「失われた力、特に脳の疲れの回復に最適である」という。そして、“早起きをすること”。午前中を重要な、まとまった仕事に集中し、常に一つの仕事を用意し、それを完成するのに適当な期間を予定することである。

 心配のない生活よりも、適度の心配は、人間の幸福のためにきわめて重要な部分をなすものである なぜならば、「人生において本当に耐えがたいのは、悪天候の連続ではなく、かえって雲のない日の連続である」からだという。

 多くの苦しみは、まさしくそこに耐えうるように定められている なぜならば「苦しみを通してのみ、人生の真の使命が実現される」からである。一度も大きな苦痛や失敗を経験せず、打ち砕かれたことのない人は何の役にも立たない。“苦しみに出合ったら、まず感謝するがよい”と。それこそが「高きをめざす一番の近道である」と語っている。

 そして、「わが生活のあるがままの過去を静かに肯定し、あるべき未来に向かって〈夕暮れになっても光がある〉(旧約聖書ゼガリヤ書14・7)という約束を信じて歩もうではないか」と述べている。

 以上のこれらのことは、人間として一度しかない人生をどう生きるかというヒルティの『幸福論』の要諦ではなかろうか。

 そして、ギリシャ七賢人の一人・ソロンの言葉の如くに“わたしたちは、常に多くのことを学びながら年老いていく”のである。

 改めて、次の言葉を味わい深く思う。

 “わたしの心よ、しばらくやすむがよい。しかし、今あとにした谷をふりかえってはならぬ。とるにたらぬこの世の幸(さち)をすてよ!さあ、出かけよう、いよいよ最後の頂きをきわめるために!”(「幸福論」第二巻・「登山」)

(ねもと・かずお)