ホリスティック教育の薦め

加藤 隆名寄市立大学教授 加藤 隆

霊性回復し問題に対処

人間論が欠落している教育学

 先日、ターミナルケア(終末期医療)についての講演会に出席する機会があった。その中で演者が印象的な指摘をしていた。いのちには二種類あるというのだ。一つは、「生物的いのち」。つまり、従来の医療が主として取り扱ってきた次元である。そこにはA薬が効果的だとか、B手術が有効であるという、患者個々の人間像が前面に出るのではなく、没個性的に生物的身体的病状から捉えて適切な処置判断を施すことを是とする態度が見えてくる。

 それに対して、演者はもう一つのいのち理解を提示した。それは、「物語的いのち」なのだという。身体的な痛みが取り除かれ、医療的な処置によって食事も回復されることがあっても満たされない「いのちの相」の次元とでも言ったらいいだろうか。いわば、その人がこれまで紡いできた人生の物語を支えるような、生かすような医療である。終末期のただ中にある人間にとって、身体的な苦痛から解放されてもなお迫ってくるのは、心の痛み、魂の疼(うず)きなのだという。

 それは、ある患者にとっては、長年取り組んできた作品の総仕上げをすることかもしれない。或いは、残された時間を愛する家族と自宅で過ごすことかもしれない。そのような行動は、医療的に見れば寿命を縮めることになるかもしれないが、「物語的いのち」を充満させることは、「生物的いのち」を数値的に長らえさせるよりも深い意味があるのだ。最高度の医療技術を誇る日本において、その医療の現場では「生物的いのち」のケアとともに、「物語的ないのち」のケアが希求されているという事実。そこには、人間とはどんな存在なのか、人が生きるとは何かという本質的なテーマが横たわっているように思う。

 このように、人間を単に身体的生物的存在としてのみ捉えずに、より全人的に捉え直そうとする機運が1980年代から国内外で大きなうねりとなっている。特に医療や教育の分野で顕著である。その典型例が、ホリスティック医学とかホリスティック教育と呼ばれているものである。このホリスティック(holistic)とは、「全体的」という意味合いであるが、この言葉を最初に用いた哲学者J・C・スマッツは、その著書の中で「ある部分をいくら積み重ねていっても、決して全体には到達できない。なぜならば、全体は部分の総和より遥かに大きなものだからである」と指摘する。

 ここには、近代以降の分析的手法の偏重に陥ってしまった社会の中で、我々が見失ってしまった何かを明確に炙(あぶ)り出している。では、ホリスティック医学や教育が現代社会に指し示していることは何だろうか。ここでは、主眼点を二点取り上げ、その意義を論じてみたい。

 第一は、明確な人間観を基底に据えることから始めていることである。ホリスティック医学関連の文献には、至るところで「人間はBody-Mind-Spiritの存在」と説明している。たとえば、「人間をBody-Mind-Spiritの有機的統合体と捉えるホリスティック医学は、社会や自然との調和に基づいた、生命まるごとの健康を考えることをその中心にしています」などである。

 ホリスティック教育でも同じような人間理解であり、「Body-Mind-Spirit」をもう少し詳細に捉えている。人間を、身体・精神・心・魂・スピリットの5次元からなる重層的存在とし、身体・精神・心は個人の人格を構成するもの、魂・スピリットが霊性の次元を構成するものとする。特に、魂は個人の内奥部分にあると同時にスピリットへとつながるところであり、スピリットは人間と世界の無限な深みを意味している。

 これまでの学校教育も含めて、日本の社会に決定的に不足していたのは、人間とは如何なる存在なのか、身体的存在の次元で括(くく)ってしまっていいのだろうかということへの問いではなかっただろうか。簡単に言ってしまうと、教育学にも医学にも人間論が欠落していたのである。そのような意味で、ホリスティックの視点から、人間を霊性の次元まで含めたトータルな存在として捉えて、医療や教育に挑戦している姿勢は大いに参考にすべきである。

 第二は、現代社会の問題の所在を明らかにして、実践的に取り組もうとする態度である。教育を例にして示すと、80年代から顕著になった教育問題(いじめ、学級崩壊、不登校、引きこもり等)は、従来の教育学や教育実践では有効に対応できないとして、90年代に臨床心理学の知見を生かした臨床教育学が登場してきた。このことの意義は大きいにしても、現代教育にかかわる問題の多くは、教育の中に霊性の次元を回復していくことこそが問題の本質ではないかと指摘するのである。

 教育問題が依然として収拾のめどが立たないことを見るにつけ、社会や教育が人間の霊性を認め、スピリチュアルな欲求に応えることが生の全体性の回復につながるのだというホリスティック教育からのアプローチは、今後も注目に値するのではないだろうか。

 (かとう・たかし)1956年北海道生まれ。北海道教育大学大学院修了。北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。小学校教諭。光塩学園女子短期大学助教授、北翔大学教授を経て2013年より現職。著書に「美しい刻」(アートヴィレッジ)、共著「北海道教育関係質疑応答集」(ぎょうせい)など。