論難に返す靖国神社異見
「荒ぶる魂を鎮める」処
憤懣を抱いて逝った戦死者
菩提寺が東京の小石川にあった関係で、筆者は毎年、お盆には帰路、「ミタママツリ」で賑わう九段の靖国神社に参詣するのを常とした。「護国の英霊を祀(まつ)る」というこの神社創設以来の厳(いか)めしい建前とは別に、境内は日本各地の神社の御祭礼の例に漏れず、庶民的な「縁日の賑わい」で、それが下町育ちの筆者には、何よりも安らぎを与えてくれた。実はこの「安らぎ」こそ、我々日本人が「神仏」ないし「宗教」に求める本質ではなかったのだろうか。
古来、日本人は霊魂が万物に宿る事、取り分け人の魂はその生死に関わりなく永続するものとして畏(おそ)れ、崇(あが)め奉って来た。それが日本人の霊魂観であり、霊魂なかでも祖先の霊を手厚く祀る事が日本古来の「信仰」であり「宗教」即ち神道であった。その基本的宗教観は儒教や仏教さらにはキリスト教が入り込んで来た後も変わっていない。
明治になって、日本の早急な「近代化」のため、近代欧米の思想や制度文物を採り入れるようになって、日本古来の「霊魂崇拝」と折り合いを付けるように「護国の英霊」を祀る「招魂社」ないし「護国神社」が各地に創設され、その中心的存在として「東京招魂社」が「靖国神社」に昇格した訳だが、国家国民を統合して近代化し、欧米列強の帝国主義的野望から日本を守る上で、「護国神社」の頂点としての靖国神社が果たした役割は否定すべくも無い。こうした経緯から、靖国神社が近代日本の「国粋主義」、「軍国主義」の支柱として、日本の敗戦後は、アメリカの占領政策の一環として否定的に扱われ、取り分け、「A級戦犯」の「合祀(ごうし)」はシナ、朝鮮の非難の対象として今日に至っており、相変わらず、「日本叩き」の有力な武器にされている。
実際、政府閣僚以下政治家達の「靖国参拝」を巡る腰の引けた態度や口五月蠅(うるさ)い一部マスコミの論難には、この国は一体独立国なのかと疑わざるを得ないものがある。早い話、シナ・朝鮮は戦争当時、現在の「中共政権」も韓国も存在せず、「当事者」ではなかったにも関わらず、「歴史(の教訓)」を口実に「A級戦犯合祀は怪しからん」と息巻き、アメリカは「失望した」と言うが、「A級戦犯」とは、戦勝国側が法律では禁じ手の事後法を使って行った「裁判紛いの復讐劇」に他ならず、「茶番」に過ぎない。当時の日本の指導者達が「戦犯」なら、原爆投下を命じた米大統領トルーマンや東京大空襲を指揮した空軍司令官カーチス・ルメイらも「人道に反する蛮行」を行った「A級戦犯」以外の何者でもない。日本人は何故そう堂々と反論しないのか。
あの戦争には、表向き「欧米列強の抑圧と搾取からのアジアの解放」対「自由と民主主義の擁護」というそれぞれの大義名分があったことも事実だが、その裏で「アジア・太平洋の勢力圏と市場の争奪」と言う生々しい現実の鬩(せめ)ぎ合いがあったことも否定すべくも無い。「喧嘩は両成敗」と相場が決まっている。当時の日本の指導者達の施政や「無謀な」戦争指導に就いては、日本人自身が別途に、何らかの形でその責任を問うべきであるとしても、他国人からとやかく言われる筋合いのものではない、日本人がこれに耳を貸す謂われは更々無いのである。
筆者は「A級戦犯」が靖国神社に合祀された経緯を詳(つまび)らかにしないが、彼らが彼らなりに「国の為に尽くそうとした」のは間違い無いし、「その志を得ないまま」処刑された事に、彼らが大きな異議と憤懣(ふんまん)を抱いて逝ったであろう事は疑うべくも無い。これを神道の立場で言えば、彼らの死後の霊は「荒ぶる魂」として、この世に残ったままなのだ。それ故にこそ、彼らはその魂を鎮める為に靖国に祀られて然るべきなのである。それが日本本来のあり方なのだ。
当の靖国神社の宮司さんがどう思っているかは知らないが、「天神様」として神に祀られた菅原道真が良い例で、志に反して逝った菅公の霊魂が「荒ぶる魂」として死後に残り、その「死後の祟(たた)り」を恐れ慄(おのの)いた世人が道真公の霊を文字通り「鎮魂」する為に、神として「天満宮」に祀ったのではなかったか。神道が人並み外れた業績を残した「偉人」を「神」として崇め奉る事を使命の一端としているのも確かだが、もう一つ、この世に憤懣を抱いて逝った死者の、癒やされる事無い「荒ぶる魂」を「神」に「祭り上げ」て 、世に祟りを招く事の無いよう「封じ込める」大きな役割があることも忘れてはなるまい。
「A級戦犯」ばかりではない。靖國神社に祀られている二百数十万柱の一般将兵にしても、「護国の英霊」として祀られるのは名誉な事であり、その「滅私奉公ぶり」は当(まさ)に顕彰するに値するが、それ以上に彼らの人間としての本音は、それこそ俗謡にある「お国のためとは言いながら」父母に先立つ不孝、妻子や恋人を残して死ぬ悲しみ、自分の未来に無理にも背を向けざるを得なかった悔しさにあったのではなかったか。彼らもまたその意味で癒やされる事無き「荒ぶる魂」だったのだ。それ故にこそ当に、靖国に祀って「鎮魂」するに値するのである。
(たかはし・ただし)