日朝交渉の再開と拉致問題

宮塚 利雄山梨学院大学教授 宮塚 利雄

強面の宋氏が微笑外交

“ただ”はあり得ない北朝鮮

 北朝鮮がミサイルを発射している。以前ならば、ミサイルやロケットを発射する金があるのなら、人民の「食べる問題」を解決するために、白米やトウモロコシを輸入して与えたらどうか、などという指摘もあったが、今やこのような文句は金正恩政権には通じなくなった。国際社会からの批判をものともせず、体制護持の手段として発射している。

 このような北朝鮮と日本は拉致問題の解決のために、3月30日から北京で日朝局長協議を始めた。北朝鮮はこれまでたびたび「拉致問題は解決した」とか、金正日総書記が死の間際に「日本と拉致問題の協議をしてはならない」という遺訓を残した、と伝えられる中での協議再開であった。しかも、協議が開催される直前の26日未明には中距離弾道ミサイル「ノドン」(射程距離約1300㌔㍍)2発を日本海側に発射した。

 ミサイルはいずれも日本海側に落ちたと言われるが、ノドンは日本のほぼ全域を射程に収めている。「日本はノドンの攻撃圏」にあると意図的に誇示し、協議に臨んだのであるが、これも北朝鮮独自の外交戦略の一つと考えればあり得ることである。政府内では局長協議中止の声もあったというが、「協議の場で抗議すればいい」との一声で予定通りに行われた(日本政府が抗議したところで、それを素直に受け入れるような北朝鮮ではないが)。

 初日の協議は北朝鮮大使館で行われたが、出迎えに出た宋日昊・日朝交渉担当大使を見て、私の研究仲間が「彼は張成沢一派じゃなかったのか。よく生き延びているな。それにしてもあの強面(こわもて)が相手じゃ大変だ」と言ってきた。私も長年、北朝鮮の高級幹部の顔つきを見ているが、宋日昊大使ほど凄味の効いた人物はいない。

 その宋氏が協議の冒頭「凍りついた川の水も解けて流れ、花も咲きだした。こういう季節に会談が開けたこと自体に、大変意義がある」と述べ、笑顔で「雪解け」を演出したのである。これはオバマ大統領の仲介で実現した安倍首相と韓国の朴槿恵大統領との日米韓首脳会談のとき、安倍首相が韓国語で挨拶したのに朴大統領が無表情だったのとは対照的である。人の面構えでその人の実力などを判断してはいけないが、かなりの権謀術策に優れた知恵者と見えた。この人物を相手に協議を進めることは並大抵ではないと直感した。

 金正恩第一書記から全面的な信頼を得て協議に臨んだであろう宋日昊大使は、北朝鮮の伝統的な外交戦略を伝授されていたはずである。と言うのも韓国の朝鮮日報(2001・5・11)の政治漫画「朝鮮漫評」に、「余の辞典に“ただ”という言葉はない」と言う金正日が、米朝会談の再開を前に在庫帳簿係に「あと足りないものは何だ」と言い、会談ごとに北朝鮮はその代価として重油・米・肥料・借款などを得ていることを風刺したものがあった。風刺漫画とはいえ北朝鮮の外交戦略を見事に見抜いている。同じく、日本の某日刊紙の政治漫画にも「父にはこの『ゆすり・たかりの交渉術』のみ教わったのだ。父もまた同様だった」というのがあった。

 北朝鮮は弱者への恫喝と外交交渉では日本よりはるかに長けている。横田めぐみさんの両親とめぐみさんの娘・金ウンギョンさんがモンゴルで面会したことに、日本政府が歓迎の意を表して「北朝鮮が拉致問題の解決に前向きになってきた。日朝局長協議は今しかない。日朝協議は拉致問題解決のまたとないチャンスだ」と判断したことを知って、北朝鮮政府は「しめた」とほくそ笑んだに違いない。しかも、北朝鮮政府が「拉致問題解決に向けて前向きな取り組みをすることになれば、わが国独自の措置は段階的に解除される」という古屋圭司拉致問題担当相の言質まで引き出した。

 これで北朝鮮の協議に臨む態度は決まったも同然である。北朝鮮は金正恩第一書記の側近であった張成沢元国防副委員長の処刑以後、中国との関係が悪化し孤立を深めている時であり、何よりも拉致問題の解決に前向きな態度を示すことによって日韓・日米間の関係にくさびを打つことができる、またとないチャンスである。

 初日の会談の終了後、日本側の伊原純一アジア大洋州局長は「真摯(しんし)で率直なやり取りができた」と記者団に語った。宋氏は協議の会談で日本側が拉致問題や核・ミサイル開発問題の解決を目指す考えを示したことに、「全く同感だ。意見交換が肯定的な方向に進むことを願っている」と語ったという。強面の宋氏の「微笑外交」は効を奏したようで、2日間で約8時間半にわたった協議で「北朝鮮は拉致問題を話し合うことを拒まなかった。中身の濃い意見交換ができ、意味はあった」と、日本政府関係者に協議を評価させることに成功した。

 朝鮮日報の政治漫画にあったように、北朝鮮は「ただ」の交渉はしない国である。次はどんな手で日本側を攻めてくるのか、強面の宋氏の手腕に目が離せない。

(みやつか・としお)