拉致の野望


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 19世紀まで全世界には富をもたらす三つの金があった。黄色い金、黒い金、そして白い金だ。黄色い金は宝石の材料になる金、黒い金は黒人奴隷、白い金は白人奴隷を意味する。なぜ白人奴隷?という疑いが消えなければ、ジャイルズ・ミルトンの『ホワイトゴールド』を読んでほしい。

 17世紀から19世紀初めまで無数の白人が拉致されてアフリカ北部に連れて行かれた。奴隷の狩り場はフランス、スペイン、イタリアなどの海辺と海だった。モロッコのスルタン、ムーレイ・イスマイルは同時代のフランス国王ルイ14世に負けじとベルサイユ宮殿に匹敵する豪華な宮殿を建てた。500人ぐらいの夫人と妾(めかけ)、1171人の子供たちが住む家だったので、その豪勢さが分かるだろう。その大工事を担った労働者の主軸が2500人のキリスト教奴隷だったという。

 黒い金の収集方法もやはり拉致だった。1500年代中盤、ポルトガルから始まって欧米各国がアフリカの黒人奴隷貿易に乗り出した。足かせをはめられた約2000万人の黒人奴隷が米大陸行きの船に強制的に乗せられた。小さな船にできるだけ多く乗せるため一列に寝かせたが、1人当たりの幅はたった40㌢ぐらいだった。2カ月ほどの長期航海で病気や虐待に耐えられず約600万人が死亡し、大西洋の海中に葬られた。奴隷船が来るとサメが後を付いて回ったというから、どれだけ多くの奴隷が水葬されたのかが分かる。

 北朝鮮ほど拉致に一家言ある国もなかろう。工作員の外国語教官などを確保するために拉致をほしいままにした。2002年に日本人13人だけ拉致したと認めたが、中国人、タイ人、マレーシア人など、それよりはるかに多い拉致被害者がいることは否定できない事実だ。

 1977年に北朝鮮に拉致された日本人女性、横田めぐみさんの両親が孫のキム・ウンギョンさんとモンゴルのウランバートルで初めて面会した。横田滋・早紀江夫妻が夢にも会いたかった娘の代わりに、そのひとり娘に会ったのだが、どれほど感激しただろうか。娘にそっくりの孫を見ながら13歳の時に離別した娘がいっそう懐かしくて血涙を流したはずだ。人間の自由を拘束する拉致は最も非人間的な犯罪だ。人権尊重の時代に北朝鮮は拉致に明け暮れた。今は、少し変わらなければならないのではないか。北朝鮮に人権の花はいつ咲くのだろうか。

(3月17日付)