英国史上、第1位の大富豪

獨協大学教授 佐藤 唯行

ユダヤの金貸しアーロン
巨額の未回収債権、国王が没収

佐藤 唯行7

獨協大学教授 佐藤 唯行

 英国史上、最大の金持ちと聞いてロスチャイルド家の名を想起する方は多いだろう。けれどそれは正しくない。英紙『サンデー・タイムズ』の「英国史上歴代長者番付」は12世紀のユダヤ金貸し、リンカンのアーロンの名を首位に挙げているからだ。全英25州に配下を派遣し金貸しを営む彼の財産は、今日の金額に換算すると216億ポンドに相当した。ロマン主義作家、ウォルター・スコットの歴史小説「アイバンホー」に登場するヨークのアイザックのモデルと言われている。

 中世英国ユダヤ社会は彼のような一握りの大富豪の寡頭支配下に置かれていたのだ。債務者の中にはスコットランド国王、カンタベリ大司教等、王侯貴族が目白押しだ。軍事遠征費や聖堂建設費がかさんだため、所領を抵当にカネを借りたのだ。けれど農場経営から還元される低い収益の割合を遥(はる)かに超えた高利(年利43~86%)を返済し続けることは難しかった。

過酷な取り立てで悲劇

 1186年の死亡時に彼が残した未回収債権は、平常年の国家収入の実に4分の3に達する金額だった。英国王は死亡したユダヤ人の財産(主に債権)の3分の1を相続上納金として慣習上、徴収できた。けれどアーロンの死に際しては全額を没収してしまったのだ。あまりに莫大(ばくだい)な金額のため、アーロンの子供たちが相続上納金の納入期限までに債権回収ができなかったからだ。没収した債権を管理・回収するため、国王は財務府の中に「アーロンの財務府」と呼ばれる特別部局を設置した。

 一個人の債権回収のため政府内に特別機関を設けるなど他に類例の無い出来事であった。回収したカネを対仏戦の費用に充てようとしたのだ。アーロンの金融活動から最終的に最大の利益を得ていたのは国王だったことが分かる。国王がユダヤ金融を利用して巨利を貪(むさぼ)るこの構図は、13世紀に国王と諸侯との間で国政改革闘争が始まると、国王対改革派諸侯の主要対立軸となるのだ。主な債務者が改革派の支持基盤、小諸侯・騎士層に集中していたからだ。

 アーロンの金融活動は悲劇も招いた。それは北英の小諸侯リチャード・メイルビスへの貸し付けだ。借金で首が回らなくなったメイルビスはアーロンの主要活動拠点の一つヨーク市で仲間を集め、返済期日当日に襲撃を企てたのだ。証文を奪い借金をちゃらにするのが目的だったが、150人のヨークのユダヤ人たちは、暴徒に囲まれるや絶望のあまり集団自決を選択してしまったのだ。

 中世英国ユダヤ史上最悪の悲劇を生み出した一因は、アーロンによる厳しい取り立てにあったと言えよう。取り立ての苛酷さを物語る史料としてはアーロンの息子、エリアスが行った記録が残存している。1220年、エリアスは騎士シモン・ル・ブレトの借金を回収するため、26人もの取り立て人をブレトの荘園に送り込んだ。一行は穀物を持ち去り、材木用に転売できる木々を根こそぎ伐採した。屋敷の扉を打ち破り、鎖帷子(くさりかたびら)、弩(いしゆみ)、蜜蜂の巣箱等、金目の品を力ずくで持ち去ったのだ。

 アーロンが本拠を構えたリンカン市は羊毛取引の中心として、当時ロンドンに次ぐ繁栄を誇っていた。彼は市内の一等地スティープヒルの西側の不動産を全て所有していた。今日でも同所に建つ「アーロンの家」は英国内に現存する最古の個人住宅の一つだ。

防御機能最優先の住居

 特徴は居住性の快適さよりも防御機能が優先されている点だ。借金証文を奪いに来るやもしれぬ債務者の襲撃に備え、堅牢な石壁の厚さは薄い箇所で90㌢もあった。国王の城も近くにあり、救援の軍勢がすぐ駆け付けることのできる距離だった。

 1階部分の窓は近世に改築されたもので、建築当時は防衛上、窓は2階のみにあった。当時、大変珍しかった石造り個人住宅は、残された未亡人が余生を安楽に送れるための家賃収入を得る手段ともなった。もちろん彼女たちの中には夫の金融業を継承するタフな者たちもいたのだ。

 彼女たち、中世英国ユダヤの女金貸しについては、いずれ別の機会にご紹介したい。

(さとう・ただゆき)