ニカラグア、反政府デモで死者400人超

 中米ニカラグアで、社会保障制度改革に端を発した反政府デモが続いている。デモ隊と治安部隊の衝突などによる死者は400人を超えており、対応が急がれている。
(サンパウロ・綾村悟)

社会保障改革に反発
政権派の民兵が暴力、人権侵害

 ニカラグア政府は今年4月、社会保障制度改革を行い、負担金の引き上げや年金削減に踏み切った。しかし、国民は改革に強く反発し、首都マナグアをはじめ全国各地でデモが過激化した。

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4月、ニカラグアの首都マナグアで、政府の社会保障制度改革に抗議するデモ参加者(AFP時事)

 当初の報道では、デモ隊と治安部隊の衝突で、デモ参加者や警官、ジャーナリストら25人が死亡したと伝えられた。デモ拡大を深刻な問題と捉えたダニエル・オルテガ大統領(72)は、改革の凍結に加えてデモ主催者との対話に応じる意向を示していた。しかし、デモは拡大し、社会保障制度改革の見直しだけでなく、オルテガ氏の退陣を求める運動にまで発展した。

 現地からの報道によると、デモ拡大のきっかけとなったのが、治安部隊による過激な鎮圧と、オルテガ政権支持者によるデモ参加者への襲撃だった。学生を中心とするデモ隊が政権支持者の襲撃を受け、その様子を撮影した映像がニカラグア全土に広まった。それがデモ拡大につながり、さらに大統領退陣を求める運動となったわけだ。

 デモを含む反政府的な言動を抑えるために、ニカラグア各地で政権派の武装民兵が導入されていることも問題となっており、民兵による拉致や襲撃で命を落としたデモ関係者も少なくないという。

 こうした中、現地カトリック教会の司教会議が和解を呼び掛けているが、カトリック関係者からは人権を無視した政府側の動きに批判が出ている。また、教会関係者が、負傷したデモ参加者の治療や教会への一時避難を受け入れたことで民兵から脅迫や襲撃を受ける事態も発生している。

 司教からは、和解案の一つとして2021年に予定されている次期大統領選挙を来年3月に前倒しする提案が出ている。だが、オルテガ氏は、選挙の前倒しはあり得ないと一蹴している。

 元左翼ゲリラ「サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)」の指導者でもあったオルテガ氏は、2006年から3選を果たし、長期政権を築いている。政権発足当初は貧困対策と経済成長で幅広い支持を獲得、南米最大の産油国であるベネズエラとの友好関係も後押しした。しかし、ベネズエラの経済危機と共に財政が逼迫(ひっぱく)し、改革が求められていた。

 また、自身の3選出馬を実現するために14年に憲法を改正したことや、妻ムリジョ氏を副大統領に推したことなどに対し、野党からは「一族への権力集中」「過去の独裁政権と同じだ」との批判も出ている。

 現地メディアによると、増え続ける犠牲者は約450人に上り、国際社会も対応に乗り出している。

 米州機構(OAS)は先月18日、ニカラグアでのデモ関係者に対する暴力や人権侵害を非難する決議を採択したほか、グテレス国連事務総長も非難声明を出すなど、国際社会からの批判が高まっている。また、米州人権委員会(IACHR)と国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)も独立調査のために人員を派遣する予定だ。

 一方、オルテガ大統領の弟でニカラグア革命の闘士として知られるウンベルト・オルテガ元国防相が、政権派の民兵組織の横暴を批判する異例の声明を発表、オルテガ政権に対し対話に応じるよう求めている。

 サンディニスタ民族解放戦線(FSLN) 1961年にキューバ革命の影響を受けて設立され、79年にニカラグア革命を成功させた。指導者のダニエル・オルテガ氏が85年に大統領に当選。その後、右派ゲリラ「コントラ」とFSLNの間で内戦が勃発、内戦は88年まで続いた。内戦による経済悪化により、オルテガ氏は90年の大統領選挙で野党連合に敗れたが、2006年の選挙で返り咲いた。