サウジ、開明的政策次々と
ムハンマド皇太子、過激主義の打倒宣言
サウジアラビア政府は、女性の自動車運転解禁、スタジアムへの史上初の入場容認、政府高官誕生など矢継ぎ早に開明的な諸施策を打ち出している。果たして同国の開放政策は本物か、世界中が関心を持って見守る中で、改革を主導しているムハンマド皇太子が10月24日、首都リヤドで演説し、「より穏健なイスラムに立ち返る」ことを宣言、同国の超保守的宗教指導者らとの決別も辞さない姿勢を示した。改革が宗教面にも及んだことで、その本気度に期待する声が高まっている。(カイロ・鈴木眞吉)
最先端巨大都市の建設を発表
サウジ王室が歴史的に受け入れてきたイスラム教の教派はワッハーブ派。同派の創始者はムハンマド・イブン・アブドルワッハーブで、18世紀にアラビア半島内陸のナジュドでイスラム教の改革運動を主導した。一般にイスラム根本主義と呼ばれる、復古主義・純化主義的イスラム改革運動の先駆的な運動だ。
ワッハーブは1745年、ナジュドの豪族であったサウド家のムハンマド・イブン・サウドと盟約を結び、それ以降サウド家は、同派の守護者となり、同派を保護し、同派の運動を広げつつ勢力を拡大、20世紀初めにサウド家のアブドル・アジズ・イブン・サウドがサウジ王国を建国した。
コーランを憲法とし、ワッハーブ派を国教とし、コーランを字義通り解釈してきたサウジが、イスラム過激派の温床になったことは当然の帰結で、国際テロ組織アルカイダの最高指導者ウサマ・ビンラディンももともとワッハーブ派の信徒であり、2001年の米国同時多発テロの実行犯中15人がサウジ人だったのも当然といえば当然だった。同国の宗教警察は同派の教えに従い、国民に対して目を光らせ、服装や同伴者、行動などを厳しく取り締まった。しかし、同皇太子はついに、そのど真ん中に剣を投じたことになる。
皇太子は既に、米国での「シェール革命」や電気自動車の急激な普及などによる脱石油社会の到来を見据え、社会的・経済的な成長戦略「ビジョン2030」を立ち上げていた。
皇太子は10月24日、首都リヤドで、投資家を前に演説し、巨大都市の建設を目指すプロジェクトを発表した。開発費用は約5000億㌦(約57兆円)。紅海のアカバ湾沿岸地域2万6500平方㌔の敷地に、国内外から再生可能エネルギーやロボット産業などの最先端企業の誘致を進め、自動運転や旅客ドローンなどの最先端技術を駆使、サービスやプロセスの自動化100%の都市を創建する。電力はすべて再生可能エネルギーで賄い、高速無線インターネットも無料とする。同プロジェクトには、ソフトバンクの創業者、孫正義氏らも参加する。
しかし何よりも注目すべきは、皇太子が同日、経済フォーラムで演説し、「イスラム過激主義のイデオロギー」を打倒し、「より穏健なイスラム」に立ち返る方針を示したことだ。皇太子は、「世界と共存し、世界の発展の一部となるために、宗教と伝統を寛容にさせる」と強調、「過激主義をきょうから即刻打倒する」と宣言した。ワッハーブ派との結び付きを強める以前の、「寛容で穏健なイスラム」に立ち返ることを宣言したものだ。
超保守派の聖職者らは、女性の自動車運転解禁の際も、「政府はシャリア(イスラム法)を曲げている」と批判。今後も一連の改革に反発することは必至だが、ワッハーブ派との決別も辞さない決意を示したことは、その本気度を示したものとみられる。改革の成否の鍵は、ワッハーブ派との決別。
10月29日にも、当局は、女性が来年から3カ所のスポーツ競技場に入場することを許可すると発表した。