ロシアに振り回される欧米諸国
シリア政府軍、アレッポ制圧
内戦が続くシリアで、反体制派を支援してきた欧米諸国がロシアに翻弄(ほんろう)され続け、12月12日、ついに敗北した。一時、青息吐息だったシリア政府軍は、ロシア軍に支援されて形勢を逆転、反体制派の拠点都市で、同国最大の商業都市アレッポの奪還に成功した。反体制派は事実上敗北し、戦いは終結した。ロシアは空爆と国連安保理拒否権を乱用、徹底してアサド政権守護を貫いてきたのに対し、米国は批判の声明を発するだけで無為無策に堕してきた。(カイロ・鈴木眞吉)
反体制派は事実上敗北
オバマ氏の無為無策に乗じた政府軍
2010年暮れにチュニジアで始まった、長期独裁政権打倒・民主主義の確立を目指した「アラブの春」運動がシリアに及んだのは2011年3月。首都ダマスカスの最古のモスク前で数十人がデモをしたのがきっかけとなり、南部ダルアーなど全土に反体制派デモが拡大した。同年7月には政府軍の離反兵を中心とした「自由シリア軍」が結成され、12年11月には国内外の反体制派の統一組織「シリア国民連合」が結成された。
一方、イスラム過激派は、国家の分裂を勢力拡大に利用、国際テロ組織アルカイダ系ヌスラ戦線は12年前半から活動を活発化させた。13年4月に「イラク・シリアのイスラム国」が結成され、シリアでの勢力拡大に本腰を入れた。
そんな中の13年8月、シリア政府軍によるダマスカス郊外での化学兵器サリンの使用が発覚。米国はアサド政権が「レッドライン(越えてはならない一線)」を越えたとして、攻撃を準備したが、オバマ米大統領は決断し切れず、化学兵器を廃棄させるだけにとどまった。
このことは大きな誤算だった。シリア政府をはじめ、世界各国が、オバマ氏の優柔不断と、戦争を決断できない虚弱体質を見抜き、自分たちに対する決定的な攻撃はあり得ないことを確信、勝手な行動に出始めることになる。
過激派組織「イスラム国」(IS)が14年6月、指導者のアブバクル・バグダディを、預言者ムハンマドの後継者で、世界のイスラム共同体を率いる「カリフ」とする政教一致国家の樹立を宣言したのもその一例だ。ISは北部のラッカを首都とした。
反体制派は15年春から攻勢を強め、ヌスラ戦線は3月、北西部イドリブ県のほぼ全域を制圧、自由シリア軍は6月、南部ダルアー県の軍の基地を陥落させた。ISも5月、世界遺産のパルミラを制圧した。アサド政権が最も劣勢に立たされた時期である。
ところが、この絶妙な時期に介入したのがロシアだ。15年9月30日、シリア領内で空爆を開始、プーチン大統領は、「対象はISで、テロリストの殲滅(せんめつ)が目的」と言いながら、米国が支援する反体制派攻撃によるアサド政権支援に集中した。この時から欧米は、ロシアに翻弄され続けることになる。
米国務省高官はロシアの空爆対象の85~90%は「(ISではない)反体制派だ」と米下院外交委員会で証言している。
ロシア軍は16年1月以降、アレッポ県に空爆を行い、2月には同市の反体制派地区に大規模空爆を行って子供や市民をも殺害した。市民4万人が避難した。国連事務次長は、ついにロシア軍に空爆停止を呼び掛けた。9日間で500人超が死亡、5万人が難民化したからだ。
シリア反体制派の指揮官は同月12日「西側はわれわれを見捨てた」と述べ、欧米諸国の無策・無力を嘆いた。2月後半からは、病院までが標的にされた。
国連安保理を舞台に、停戦や物資搬入案が提起されたが、ロシアと中国がことごとく拒否権を発動(ロシア6回、中国5回)、一時停戦後の11月15日には、ロシア軍とシリア政府軍が反体制派への攻撃を再開、ロシアの空母からも初空爆を行った。
それに対し米国は無為無策、ロシアのなすがままに引きずられ、シリア政府軍は12月12日、アレッポのほぼ全域を制圧した。在英のシリア人権監視団は、「反体制派は事実上敗北し、戦いは終結した」との認識を示した。
反体制派を支援してきた欧米とトルコ、一部アラブ諸国は対シリア政策の変更を迫られる可能性があり、トランプ次期米大統領の中東政策が注目される。