トルコのエルドアン大統領、穏健派イスラムを弾圧
トルコ クーデター未遂
トルコのエルドアン大統領が世俗主義の国是を公然と無視し、イスラム化を進めることに対する危機感を動機とした一部軍人によるクーデターは7月15、16の両日、反対勢力に阻止され、未遂に終わった。エルドアン氏は、首謀者は米国亡命中のイスラム指導者ギュレン師と名指しし、関係者の粛清を断行したことから、同師主導の穏健派イスラムと、穏健派を装いながら実質は国家と世界のイスラム化を目指すイスラム根本主義組織「ムスリム同胞団」との戦いに変質してきた。(カイロ・鈴木眞吉)
ギュレン師と関係者6万人粛清
自己の汚職体質を隠蔽か
クーデターの主体は、エルドアン氏による「目に余るイスラム化(近代トルコの父ケマル・アタチュルクが国是とした世俗主義に反する)」と「強権体質」に大打撃を加えようとした、「国是の守護者を自任する軍部」の一部だと国内外の誰もが見なしたが(事実20日、軍の幹部99人が事件に関与したとされた)、エルドアン氏は、ギュレン師と関連する軍人や裁判官、判事などの司法関係者約1万人を拘束、官僚や教育・メディア関係者など約5万人を、解雇や職務停止、免許停止処分などに処し、約6万人を粛清した。
ギュレン師を首謀者とした理由の一つは、「イスラム化」に対する反発がクーデターの第一理由だったことから目をそらせる戦略の一つとみられる。何よりも「イスラム化推進」がエルドアン氏の本音だからだ。
トルコ政府は23日、私立学校や財団、貿易団体、大学、医療機関など、2341の組織を閉鎖。24日までに、ギュレン師の甥と最側近を拘束、25日には、ジャーナリスト42人に逮捕状を発行、国営トルコ航空は同日、従業員221人を解雇した。
エルドアン氏は、所属政党(同胞団の流れを汲(く)む福祉党、美徳党を経て公正発展党)や、日ごろの言動からみて、国家と世界にイスラム法を適用することにこだわるムスリム同胞団(1928年、エジプトのイスマイリアで結成)の隠れ(指導的)会員とみられ、エジプト国民は、彼が、同胞団の国際組織の長と見ている。
その同胞団は、トルコやパレスチナ自治区ガザ(同胞団を母体としたハマス政権)を傘下に治め、エジプトでは、2012年にモルシ政権を樹立させ、チュニジアでは同胞団系政党アン・ナハダによる政権奪取を試みた。エジプトではシシ政権の誕生で、チュニジアでは、カイドセブシ政権の誕生で、もう一歩のところで失敗したが、トルコと米国、カタールの支持を得て、チュニジアでは盛り返し、ヨルダン、シリア、リビアでの政権奪取を画策、中東のみならず欧米諸国に支部を設立、「イスラムは平和の宗教だ」と宣伝、穏健派を装いながら、過激派、難民、移民を最大限に組織化、各国でイスラム教徒の拡大と政権奪取を画策している。ロンドンではイスラム教徒が市長になったが、フランスでも遠からず、イスラム教徒が大統領や知事・市長になるとみられている。同胞団は一夫多妻を奨励、人口増加に邁進。イスラム人口がキリスト人口を近く上回ると予想されるまでになった。
ギュレン師は、オスマン帝国の崩壊とトルコ共和国の成立により、世俗主義が導入され、神の法(イスラム法、シャリア)に代わり人間の法が支配するという激変の中で、イスラム的伝統を新たな解釈により存続させることに努めた人物、サイイド・ヌルシーの影響を受け、さらに近代的解釈を加え運動化したとされる。2人は近代トルコにイスラム教をソフトランディングさせることに成功したのだ。ギュレン師が、「世俗主義とイスラムは矛盾しない」と主張する理由だ。この路線下なら、欧州連合(EU)加盟は難なく実現したであろうと予想される。
ところが同胞団の理想を掲げるコチコチのイスラム主義者エルドアン氏は、国家のイスラム化を強引に推進する一方、2013年に汚職体質を露呈、イスラム道徳に立脚し、奉仕や慈善事業、教育活動に専念するギュレン教団とのそごが生じたのだ。エルドアン氏は、自己の罪の隠蔽(いんぺい)のためにギュレン師を首謀者に祭り上げて弾圧。両者の関係は悪化の一途をたどることになる。
「邪魔者は消す」という自己中心的政権運営が国内外から批判を浴びるエルドアン氏。国際社会は、同氏のムスリム同胞団体質と同胞団による世界制覇の野望を見抜き、信教と思想・言論の自由を守るために、世界イスラム化の野望を打ち砕き、粛清を直ちに止めさせるべきだ。