アフガン撤退はバイデン大統領の英断

エルドリッヂ研究所代表 政治学博士 ロバート・D・エルドリッヂ

法的根拠なかった「戦争」
出口戦略なき「介入」に終止符

ロバート・D・エルドリッヂ

エルドリッヂ研究所代表 政治学博士
ロバート・D・エルドリッヂ

 筆者ほどバイデン米大統領を批判する人はいないだろう。ただ、アフガニスタンへの介入を終焉(しゅうえん)させ、撤退を実施した同氏を評価したい。もちろん、多少の混乱があって、犠牲者も出た上、より速やかな撤収ができたことを差し引いても、一定の評価ができる。

権利・義務放棄した議会

 読者にとって意外かもしれないが、それなりの理由はある。

 まず、アフガン「戦争」は、実は通常の法的根拠に基づく戦争ではなかった。「介入」にすぎなかった。アメリカ合衆国憲法第1条第8節は、「議会に戦争を宣言する権限を与える」が、その権限を最後に使ったのは、第2次世界大戦だった。アフガン「戦争」をはじめとするさまざまな紛争や介入は、議会がその権利や義務を放棄している。その代わり、大統領に対して、武力行使を許可したり、予算で行動をある程度管理したりしている。

 当時、上院議員で、外交委員会の委員長を務めていたバイデン氏は、2001年に発生した9・11同時多発テロ事件の後、それらのテロを首謀したウサマ・ビンラディンが潜伏していたと思われたイスラム主義のタリバン政権下のアフガンへの攻撃を10月上旬に展開した。その後、タリバンは、米国が証拠を示せば、ビンラディンの身柄を第三国に引き渡すことを表明していたが、ブッシュ大統領はそれを拒否した。結局、パキスタンに逃走したビンラディンを見つけるまで、10年もかかった。

 先日、バイデン氏の決定の背景をより理解するために、08年の大統領選挙に向けて出版した自伝「守るべき約束 (Promises to Keep)」を読んだ。

 攻撃開始後の02年初め、野党のバイデン委員長がアフガンを訪問し、ブッシュ政権の政策への支持を表明した。しかし、現地視察の際、ラムスフェルド氏が長官だった国防総省の協力が得られず、疑問を持ち始めた。帰国後、大統領をはじめ、チェイニー副大統領、パウエル国務長官などに会い、「出口戦略」が存在しないことに驚いた。バイデン氏は、アフガン国内の問題にうんざりし、ブッシュ政権の不透明性、議会などへの非協力的な姿勢に不満を持っていた。

 アフガンからの撤退を訴えて当選したオバマ大統領の時、軍事産業や軍、中央情報局(CIA)などは、撤退に強く反対した。そのため、結局、特殊部隊が11年5月にビンラディンを殺害しても軍は残り、米軍の任務は明らかに「国造り」や「平和構築」に変化した。

8月8日、米軍およびNATO軍の軍用機すべてが撤退したアフガニスタン東部・バグラム空軍基地(UPI)

8月8日、米軍およびNATO軍の軍用機すべてが撤退したアフガニスタン東部・バグラム空軍基地(UPI)

 アメリカ国民は、「終わりがない」米史上で最も長い戦争に不満を持っていた。各種世論調査では、撤退を望んでいた。米軍をはじめ、北大西洋条約機構(NATO)など有志の連合諸国、そしてアフガンの軍隊、警察、そして一般市民に多くの犠牲者が出ており、そして莫大(ばくだい)なお金が使われていた。

 一般的に、米国がアフガンで使った予算は1兆ドル(約110兆円)と報道されているが、実際にはその6~8倍になる。なぜなら、その資金は借金で賄われており、利息がかかるからだ。そのお金は、アメリカのインフラ整備、教育、医療保険など、国内で必要とされている。

 とても皮肉なことに、20年ぶりで再び政権に就くタリバンは、アメリカをはじめ各国が使った予算で、より強い組織になってしまった(なお、タリバンの部隊は、世界一強いアメリカと長年戦ってきて、戦術などが恐ろしいほど上達したと言える)。

 インフラがかなり整備され、たくさんの基地ができた。残念ながら、莫大なお金が入ったため、もともと蔓延(まんえん)していた腐敗がさらに増してしまった。

 だが、アメリカのメディアは、こうした問題を報道してこなかった。昨年、主要なテレビ局がアフガンについて報道した時間は、合計でたった5分だけだった。

現地指揮官の批判隠蔽

 そもそも米政府は、アフガンについて無知のまま介入を開始し、作戦を展開していた。途中でリークされた「アフガン文書」では、「無戦略」「一体、誰が敵か、誰が味方か分からない」などの発言を、一般兵士ではなく、現地の指揮官や政府の高官が繰り返して述べていた。その事実が長年隠蔽(いんぺい)されてきた。

 しかし、50年間近く、ワシントンの「政活」をしていたバイデン氏は分かっていて、あえて撤退を選んだ。混乱は多少あり、今後、米国の威信を再構築する必要があるが、正しい決断だと筆者は見ている。