「朴教授無罪」など2つの判決で、韓国の法治に疑問符を付けた産経
◆日韓間に寒風が吹く
日本と韓国の間は今、激しい寒風が吹き荒れている。両国の関係は平成27(2015)年末のいわゆる慰安婦問題をめぐる日韓合意以前に逆戻りしたかのように冷え込み、先行きが憂慮されるのである。
何より韓国側に日韓合意の精神に反する突出行動が目立った。大統領弾劾で混乱する政情は分かっても、ソウルの日本大使館前の「慰安婦像」は事実上、韓国政府に解決への動きがまるで見えてこない。国際信義が問われるのに、加えて釜山(プサン)の日本領事館前をはじめ各地に「慰安婦像」が新たに設置されても放置したまま。地方自治体首長の竹島(島根県)上陸などもあり、日本政府にとり国際条約上も放っておけない事態で、先月9日から対抗措置として一時帰国させた駐韓大使と釜山総領事の帰任は、見通しの立たない中で月を越した。
そんな中で、ひと筋の光明となったのが「慰安婦問題」を扱った著書『帝国の慰安婦』が名誉毀損(きそん)罪に問われた朴裕河・世宗大学教授に対して、ソウル東部地裁が先月25日に言い渡した無罪判決である。だが、日本との歴史問題に絡んだ裁判で、法と証拠による厳正な法治が守られたことが評価されたのもつかの間、翌26日には対馬(長崎県)の寺から盗んだ仏像の日本への返却拒否を認めた大田(テジョン)地裁の異常判決である。
◆検察に反省をせまる
この韓国の二つの地裁判決のうち、まず朴教授の無罪判決について論じたのは読売(1月26日付、以下同月)、朝日(27日付)、産経(26日付)の3紙である。読売、朝日の両紙はまず、韓国・検察の訴追自体を批判した。「検察が起訴したこと自体に無理があった」(読売)、「検察は、そもそも訴追すべきではなかった」(朝日)と検察に反省を迫り、無罪を当然のことだとした。
その当然の判決は、憲法が「学問の自由」を保障していると強調した上で、「朴さんが本を書いた動機は、日韓の和解を進めることにあり、元慰安婦の社会的地位をおとしめるためではなかったとして無罪判決を導いた」(朝日)と説いた。読売も同様の解釈の上で導き出した結論を「合理的で当然の判断」だと高く評価したのである。
一方で、産経は「韓国では、行政や司法が世論に迎合する問題が指摘されてきた」ことに言及。その中で判決は「法よりも国民感情が優先する韓国の『情治』に歯止めをかけたことに大きな意義」があり「司法の独立性と矜持(きょうじ)をみせた」と一応は評価。それでもなお、韓国の法治について「事実を述べると不当な指弾を受ける社会は、まともではない。今回の判決が、それを変える契機になるだろうか」と疑問符をつけて結んだ。
今回の判決は評価できても、なお韓国の法治については今後も注意深く見守る必要があるとしたのは、冷静な目である。
◆責任追及の手緩めず
長崎・対馬の盗難仏像判決について論じたのは読売(28日付)、産経(同)、毎日(27日付)、小紙(30日付)の4紙である。
大田地裁の判決は対馬・観音寺から盗まれた仏像(韓国政府が保管中)について、原告の浮石寺(韓国)への引き渡しを韓国政府に命じた。「倭寇に略奪された」という根拠と証拠も確かでない原告の主張に沿った判断を下したのである。
判決について読売が「国際的な常識に外れる判決」と断じたのをはじめ産経「法と証拠に基づくまっとうな司法判断とは、とても言えまい」、小紙「理解に苦しむ。正当な司法判断とはとても言えない」とそれぞれ強く批判したのは妥当である。
「窃盗事件で盗まれたものを持ち主に返すというのは、子供でも分かる常識」(産経)で、今回の判決は「窃盗による国外持ち出しが正当化されかねない」(毎日)という大きな問題も含む。ユネスコ条約(1972年発効)は盗まれた文化財について、持ち込まれた国が返還するよう定めており、国際常識外れの判決であることは明らかである。
韓国政府の控訴は当然だが、産経はそもそも「日本から盗まれた仏像が発見された時点で、直ちに返還しなかった。それが問題をこじらせた」と、さらに突っ込んだ責任追及の手を緩めない。さすがである。
(堀本和博)





