“南風”に喜悦満面の金正恩氏

宮塚 利雄宮塚コリア研究所代表 宮塚 利雄

民心に追われた朴槿恵氏
金王朝も“明日は我が身”に

 今年も残すところあとわずかとなった。朝鮮半島の二つの国を覆う風は今年も年初から北側から南側方向に吹いてくることが多かった。北朝鮮によるミサイル発射や、核実験の実施日の特定などで世界は翻弄(ほんろう)されてきたが、金正恩政権は確実に相次いでミサイル発射と核実験を実施してきた。まさに“弱者による恫喝”で金正恩政権は世界に存在感を示してきたが、年の半ばころから金正恩政権にとっては予期せぬ出来事が本国ならぬ海外で発生してきた。北朝鮮が外貨獲得手段として最も有効な手段である海外に派遣している北朝鮮労働者や、大使館など北朝鮮の海外公館に勤務しているエリート階層の相次ぐ亡命劇が発生する事態が生じ、これに北朝鮮からも軍の高級幹部などが韓国に亡命してきた。

 このような異常事態の発生に韓国の朴槿恵大統領は、金正恩による北朝鮮統治能力の欠如と硬直した北朝鮮体制の限界を察知したのか、ここで一気に海外における北朝鮮エリート階層による亡命・逃亡だけではなく、北朝鮮内にいる人民の韓国への亡命・逃亡を促し、金正恩体制の内部からの崩壊を画すようになった。その手段の一つが風船ビラによる攻勢であった。韓国側から北朝鮮側に飛ばされた風船ビラには北朝鮮を非難する内容が書かれており、風船には即席麺なども一緒に積載されていた。

 韓国から飛んでくる風船ビラに北朝鮮側は戦々恐々としており、昨年は韓国側から飛ばしたものを北朝鮮の兵士が撃ち落とすことも行った。もちろん、北朝鮮からも韓国に向けて風船ビラを飛ばしているが、この風船ビラ戦争は韓国側に分がいい。しかも、北朝鮮に対する国連の経済制裁の履行なども相まって金正恩体制は、国際社会からの孤立を余儀なくされ、国内でも台風による甚大な被害や相次ぐ粛清劇などによって人民は金正恩政権から乖離(かいり)し始めていた。

 ところが、10月頃から予期せぬ“南風”が金正恩政権に吹き始めたのである。それは韓国の朴槿恵大統領をめぐる一連の不祥事が発覚し、それが国民的な関心事となり、かつて、金正恩を無能力者呼ばわりにした朴槿恵大統領が、金正恩よりも先に権力の座から退かなければならない事態に陥っているのである。この事態に接した金正恩は欣喜雀躍し、喜悦満面で「ほら見たことか、あのババは俺のことを無能力者呼ばわりしたが、自分こそ無能力であったじゃないか、俺は偉大な指導者なんだ」と祝杯を挙げたという。

 朴槿恵大統領は11月29日に3回目の国民向けの談話を発表し、「大統領の任期短縮を含む進退問題を国会の決定に委ねる」と表明した。友人で女性実業家の崔順実被告らによる国政介入事件の責任を取り、条件付きながら任期満了前に辞任の意向を示したのであるが、「私は全てのことを手放しました。一日も早く韓国が混乱から抜け出すことを願うばかりです」との最後の一言からは、「自身が招いた疑惑に対し、本気で責任を取る固い決意は読み取れず、ひとごとのような空虚さが残った」(『産経新聞』11月30日号)、との指摘もあった。

 今回の一連の不祥事を顧みるとき、私は愛読書『三国志』のある部分を思い出した。「公孫瓉(古代中国の有名な武将)が寵遇して、驕恣をゆるしている者はほとんど凡庸な者たちであった。占い師の劉緯台、絹商人の李移子、賈人(商人)の樂何当という三人と公孫瓉は兄弟の誓いを行い…彼らは公孫瓉の殊遇によってみな巨億の富を有した…公孫瓉は世間へ耳目を向けることを忘れて、内政だけではなく、外交も硬直してしまい、応変の柔軟さをすっかり失った」(宮城谷昌光『三国志』第五巻)とある。希代の名将と誉れの高かった公孫瓉もこの三人の驕恣(きょうし)を許し、ついには身を滅ぼすことになったが、朴槿恵大統領のしでかした不祥事と最後には相通じるところがある。

 さて、金正恩はアルコール中毒者ではないかと噂(うわさ)されており、時々酩酊(めいてい)顔で破天荒な行動を行い、指示を下すことがあるようで、彼を輔弼(ほひつ)する周りの者もいいかげんに愛想を尽かしているとのことであるが、今回の“南風”に慢心している場合ではない。朴槿恵大統領が「任期満了前に引責」するのは自らの意思からではなく、「民心」に追われたからである。小欄は前号で孔子と弟子の問答を紹介したが、「民心」から離れた指導者はその座から退かなければならないのである。中国の三国時代の指導者もいくら「戦に強くても、民心を掴(つか)むことができないものは滅びる」と確信していた。北朝鮮の金王朝は人民に「見ざる、聞かざる、言わざる」ならぬ「見ても、聞いてもいいが話してはだめ」という恐怖政治で、人民を統率してきたが、いつまでもこのような「モノ言えば唇寒し」の統治が続くことはあり得ない。

 金正恩よ、今回、北側に吹いてきた“南風”を“天恵”と思ったら大間違いである。他山の石として深く受け止めるくらいの深慮がなかったら、明日は我が身の出来事となることを知るべきである。厳しい冬将軍の到来を前に、北朝鮮北部の家々では防寒措置としてビニールを窓に張る作業に余念がないと、中朝国境の定点観測者は伝えてきた。金正恩よりも人民の喜悦満面を見たいものである。(敬称略)

(みやつか・としお)