国政介入事件の深層、たわいない確執が発端
暴露はこうして始まった
前代未聞の国政介入事件で韓国が混迷を深めている。どうやって疑惑は暴かれたのか、前倒し実施の可能性が出てきた次期大統領選挙や国政混乱で懸念される日韓関係はどうなっていくのか。現地から報告する。(ソウル・上田勇実)
朝鮮王朝時代の抗争を再現
今年7月、保守系大手紙の1面に青瓦台(大統領府)民情首席秘書官の親族が関わった不動産取引をめぐる不正疑惑が報じられた。そのわずか1週間後、今度は系列のケーブルテレビ局が今回の国政介入事件の発端とも言うべきニュースを報じた。発足間もない文化支援財団の巨額資金集めに青瓦台政策調整首席が深く関わっている、という内容だった。
これらの不正疑惑報道はその後、朴大統領が長年の友人で一民間人である崔順実被告(先月20日起訴)の職権乱用を幇助(ほうじょ)したり、機密文書を漏洩(ろうえい)していたとされる特大スキャンダルの暴露につながっていった。大手紙は「崔順実」という名前こそ出さなかったが、最初の火付け役として決定的な役割を果たしたとみられている。
保守的論調が際立つ同紙は朴政権と「同じ側」にいると思われやすかった。それがなぜ朴政権のあら探しをするのか。
「朴政権誕生を支える論陣を張ったのに朴大統領は見返りに無関心だったため、不満を抱くようになった。そこでまず朴政権の周辺を調べていたようだ」
ある韓国日刊紙の編集幹部は、同紙と朴政権との確執こそ疑惑暴露の背景だと指摘する。
8月、検察出身の与党セヌリ党議員が同紙主筆の豪華海外旅行疑惑を逆に暴露し、主筆は辞任に追い込まれた。議員は情報源を秘匿したが、青瓦台リーク説が広まった。
その後、同紙および系列テレビから一連の政権疑惑をめぐるこれといった続報は途絶える。「青瓦台に多くの弱点を握られ、これ以上の深入りを避けた」(前出の編集幹部)可能性がある。真相に迫りながら「権力の監視・牽制(けんせい)」を自ら中断させたわけだ。
代わりに疑惑追及の「たすき」を渡されたのが左派系のハンギョレ新聞であり、崔被告のタブレット端末だとして物証を示したケーブルテレビ局JTBCだった。
暴露は崔被告の周囲からも進行していた。複数の消息筋によると、ソウル副都心の江南でホストとして羽振りを利かせていた時代に崔被告と出会い、その後、事業パートナーとなった元フェンシング国家代表の高ヨンテ氏が、後に崔被告に冷たくあしらわれたことを恨んだ末、崔被告の動画などを計画的に暴露したとみられている。暴露はたわいもないことが発端だったともいえる。
朴大統領が最初に大統領選に挑戦した2007年、そして当選した12年にも「朴氏には大統領になってはならない要素がある」(元青瓦台関係者)という噂(うわさ)が広まったが、疑惑を提起した人たちは名誉毀損(きそん)などで起訴された。
14年には崔被告の元夫である鄭允会氏をめぐる国政介入疑惑が浮上したが、捜査は本質から外れた情報流出経路に焦点が当てられ、“本丸”である崔被告にたどりつくことはなかった。
鄭氏については大型客船セウォル号沈没事故の際、朴大統領の居所が分からなかったという、いわゆる「空白の7時間」と関連し鄭氏と朴大統領の関係を記事で触れた産経新聞の加藤達也・元ソウル支局長が在宅起訴され、約8カ月出国禁止となった。
いずれも「朴大統領を最も近くで支えた青瓦台の幹部陣、検察や情報機関を長年牛耳ってきた金淇春・元秘書室長、与党の親朴派議員など権力中枢が崔被告による国政介入を隠蔽(いんぺい)し続けようとした」(朴亭垠・参与連帯共同事務処長)ことと無関係ではなかったのではないか。
しかし、疑惑はついに事実として暴露された。「私益のため死ぬか生きるかを懸けて相手のあら探しに奔走する朝鮮時代の派閥政治」(宋復・延世大学名誉教授)が現代の韓国社会でもそのまま行われているかのようだ。






