苛政に苦しむ北朝鮮人民

宮塚 利雄宮塚コリア研究所代表 宮塚 利雄

信頼失った金正恩政権
エリート層の亡命が相次ぐ

 昨今の北朝鮮情勢を観察・分析している時、『論語』の次の一説を思い出した。

 孔子の弟子の一人に子貢という者がいた。ある時、子貢は師に「政治とは何でしょうか」と問うた。それに対し孔子は「食料を十分にすること、軍備を十分にすること、人民に信頼してもらうこと、である」。子貢はさらに「どうしても省かなければならないとしたら、その三つのうちのどれを先にしますか」と問うと、「軍備をやめることである」と孔子は言った。さらに子貢は「残る二つのうちでは、どうでしょうか」。「食料を棄てる。昔から誰にでも死はある。人民に信頼されなければ、政治は成り立たない」とすかさず答えたのである。この師と弟子の問答を北朝鮮の金正恩政権に当てはめて考えると、北朝鮮の金正恩政権の実態が見えてくる。

 孔子は「政治」とは、人民が豊かで安心安全な暮らしができる国家を建設することであると説いたが、自ら「地上の楽園」と称し、偉大な指導者の嚮導(きょうどう)政治によって「世界で一番幸せな国の人民」と吹聴している北朝鮮の金正恩政権は、この孔子の教えとはまさに反対の世界に向かっている。北朝鮮では金日成以来、「白いご飯に肉入りのスープを飲み、絹の着物を着て、瓦葺(かわらぶき)の家に住む」ことを「朝鮮人民の最も理想とする生活像」としてきたが、これはいまだに実現できていない。それどころか、8月末に咸鏡北道地方が大洪水に見舞われ、死者行方不明者約500人、被災者16万人が発生したが、金正恩は水害現場を訪ねないばかりか、国連傘下の国際救護団体をはじめとする国際社会に援助を要請した。筆者の中朝国境地帯にいる定点観測者からも氾濫(はんらん)する豆満江の映像が送られてきたが、それからも農作物などの被害規模が想像できた(北朝鮮の穀倉地帯は黄海南・北道、平安南・北道であるが、咸鏡南・北道も米やトウモロコシ、ジャガイモなどの生産量は多い)。

 しかし、この厚顔無恥な金正恩は国際社会への食糧支援要請を行いながら、一方では9月9日の建国記念日に5回目の核実験を行い、国際社会を挑発した。北朝鮮の李容浩外相は国連総会の一般討論演説で、北朝鮮が第5回目の核実験を行ったのは、米国など国際社会が科した制裁に対する「報復措置の一部だった」と述べ、「核武装を強化するのは、米国の核の脅威から自国を守るための自衛的措置である」と強調した。そればかりか、北朝鮮の核兵器研究所は「核武力の質・量的強化措置」を継続すると主張したが、北朝鮮の言う通り、5回目の核実験の結果、弾道ミサイルに搭載可能な小型化技術も格段に向上したといわれている。北朝鮮の最終目標は米本土に到達する核ミサイルの開発であり、そのためには莫大な資金を投入することもいとわない。

 韓国の外務省副報道官は9月22日の記者会見で、北朝鮮が今年2回の核実験やミサイル発射の費用について、「約2億ドルと推計される」と明らかにし、この金額は8月末に北朝鮮北東部で起きた豪雨被害の規模を上回ると指摘し、「住民を顧みず、核・ミサイル開発に没頭する北朝鮮当局は容認し難い」と非難した。また、韓国の別の情報によると「5回目の核実験は500万ドルかかった」とも報じている。北朝鮮の2013年の国防費は約100億ドルともいわれ、これは国民総所得(GNI)の3分の1に相当する。

 金正恩政権が核兵器と弾道ミサイルの開発に固執するのは、自らの独裁政権を維持するためである。つまり、北朝鮮はかつて自国の運命を左右する米国との交渉で、自国を「核保有国」として認め、体制維持を保証することを求めた。これに対し米国側はあくまでも「北朝鮮が核放棄を約束しない限り交渉を行わない」と主張し、北朝鮮の要求を無視したのである。ここに至り金正恩政権は米国と交渉すべく、今年に入り一気に米国を挑発する核・ミサイル実験を相次いで強行することになったのである。

 金正恩政権は自らの体制護持のために、人民を塗炭の苦しみに追いやっていながらも核・ミサイル開発をやめようとしないばかりか、新たなミサイル発射と核実験も予想されている。しかし、金正恩政権はミサイルや核開発だけによって維持されるものではない。既に国民の信頼を失っている金正恩政権は恐怖政治によって人民の反乱を辛うじて抑えている。

 金正恩は金日成社会主義青年同盟の大会で「全ての青年は、敵の思想・文化的浸透策動に強硬に立ち向かい、我々の内部に異色の思想・文化と変態的な生活様式が絶対に浸透することができないようにすべきだ」と訴え、内部での思想的な動揺を警告したが、今や駐英公使による韓国亡命や軍の幹部、「国際数学オリンピック」に参加していた18歳の男子学生、中国にある北朝鮮レストランの女性従業員など、今年になって北朝鮮のエリート層の亡命が相次いでいる。北朝鮮の人民が「苛政猛虎」と言わなくなる日はいつのことだろうか。

(みやつか・としお)