韓国の言論の自由を憂える

ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学法学部教授 ペマ・ギャルポ

落ちる民主主義の評価

「産経」の次の朴裕河氏起訴

 産経新聞の前ソウル支局長・加藤達也氏の無罪判決が下された。これに対し日本の政府関係者やメディアは韓国政府の日本に対する姿勢の変化として前向きに評価しているようである。

 当事者の産経新聞は、韓国の中央地裁の李東根裁判長が今回の判決で「大統領への批判」と「言論の自由」の関係性について規定したもので、「重大事件の判決だけに影響力はある。政権側もメディアへの訴訟に慎重にならざるを得ない」という司法関係者の話を報じている。

 私からすれば、この判決は民主主義国家においては当たり前のことで、そもそも十分な根拠も無く加藤氏を報道関係者としての自由を否定し、確固たる証拠もないまま名誉毀損で起訴したこと自体極めて政治的であって、無罪は当然のことである。だから、法を尊び言論と表現の自由が尊重されている日本社会が、韓国の今回の判決を特別に喜ぶほどではないだろう。

 かつてインドのパール判事が東京裁判で、あの裁判自体が茶番であり平和に対する罪と人道に対する罪は戦勝国によって作られた事後法であり、事後法をもって裁くことは国際法に反するとして被告人全員の無罪を主張した。確かにこのパール判事の行為は極めて勇気があり、法学者としての精神を貫いた態度は立派であった。その時の世界世論や日本の置かれた状況などから見れば、日本の皆様が感謝する気持ちも当たり前かもしれない。

 ただ、一部の日本人はパール判事が親日家であったからあのように戦犯たちの無罪を説いたとする人も少なくないが、それは結果論であって、パール判事はあくまでも法律家として公正な判断をしたに過ぎない。それは一法律家として正義を行う立場上のことであった。彼が日本に対し、同情と親しみを持ち、親日家となったのはその後のことである。民主国家においては司法の独立性は何よりも大切である。

 韓国は民主国家と名乗ってはいても、民主国家としての重要な要件である司法の独立性が全く確立していないという印象を受けた。この印象を更に強くしたのは今年の10月10日、韓国のソウル地方検察庁が世宗大学教授の朴裕河氏自身の著書『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版)の内容が名誉毀損に値するとして同教授を起訴したことである。同教授は著書の中で「慰安婦の強制連行は少なくとも朝鮮の領土では公的には日本によるものではなかった」としており、業者の仲介つまりブローカーの存在はあったとしている。また慰安婦と挺身隊の存在が混同している面も指摘している。

 いずれにしても朴教授は一学者として事実を追究し、それを豊富な資料の分析と取材などを通して検証している。同教授はややもすれば感情的で政治に利用されている韓国における慰安婦問題を正し、真実に基づく両国の関係を願い、敢えて韓国の世論と政府の思惑に反しても真実を公表することを決意したと思われる。今、朴教授は当局から起訴されたのみならず世論からもバッシングを受けている。中には彼女を売国奴扱いする人々さえあるらしい。

 私は朴教授こそ真の韓国の愛国主義者であり、真実を直視する勇気を持った人間であり、更に真相を追究しそれを時の環境に逆らってまで貫こうとする立派な学者、民主主義者であると思う。日本国政府として韓国の内政干渉にあたるような形で同教授を支援することは相応しくないし、すべきことでもない。だが日本国民、特に民主主義者、リベラリストと称する人々が積極的に朴教授の裁判闘争を支援していないのは不思議に思う。

 朴教授は学者としての良心と民主主義のために戦っているというべきであろう。教授がしようとしていることは、普遍的な真実の追求と学問の自由の堅持のための戦いとして見るべきであり、また教授は、抑圧的で非民主的な権力と感情的な国民に迎合するステレオタイプのマスコミ世論の中で孤独な戦いを強いられている。今こそ真の民主主義と国家間や民族間の良好な関係を願っている人々は声を出して行動すべきではないだろうか。

 私は韓国及び韓国国民に対して何の恨み、つらみもなく、むしろ韓国は好きである。1970~80年代において仕事の関係上頻繁に韓国を訪れており、現大統領の父君・朴正煕氏の政権はチベットに対して非常に温かく、当時の韓国の大臣たち、大学の教授をはじめ要人たちは私が日本から来て、日本語ができるというだけで非常に親切にして下さった。

 あの時の日韓関係は非常に温かいものであったように記憶している。十分に立証もされていないこの慰安婦問題というものが突出してから両国の関係が悪化し、無策な政治家たちが利用していることや、日韓関係が悪くなることで得をするほかの勢力が漁夫の利を得ていることは情けなく感じる。

 その中で、かつてのパール判事が法学者として正義を行ったように、今、朴教授が一学者として常識に従い正しい行動をしていることに、日本の人々が先頭に立って世論を起こし、彼女の言論と学問の自由の確保をするために活動を開始すべきではないだろうか。それが民主主義と両国の真の関係改善につながると私は考えている。