中国に押し入る北朝鮮強盗

宮塚 利雄宮塚コリア研究所代表 宮塚 利雄

国境を越えた殺人事件

検問厳しい豆満江岸で取材

 3月26日から3泊4日の日程で中国と北朝鮮の国境調査に行って来た。今回で47回目の中朝国境調査旅行で、入国管理でまた拘束されるかもしれないと心配したが、前回同様今回も何もなく入国でき杞憂(きゆう)だった。今回の目的は中朝関係の現実を豆満江にある税関での「人と物の往来」から調べることであった。

 豆満江には6カ所の中朝の税関があり、最上流の崇善鎮の税関から調べることにした。ところがいつも現地を案内してくれる朝鮮族の案内人が、「今回は税関に近づくことはやめたほうがいい。検問などが厳しい。いつもとは違う」と言って、国境沿い(豆満江岸に沿って)に上流を目指すことは危険とまで言い出した。

 しかし、こちらも貴重な時間と費用を割いてきているので、このまま引き下がるわけにもいかないので、「崇善が無理なら南坪はどうか」と聞いたところ、「この南坪の税関に行くのが一番大変」だと言う。この地域の踏査は今まで何度も行っているので不思議に思い尋ねたら、「日本では報じられませんでしたか。北朝鮮の兵士が中国側に来て朝鮮族の住民を殺害したことを」と言うので思い出した。全国紙の外信面にわずかに報じられているのを見たが、気にも留めていなかった。と言うのも今までこのような事件はたびたびあったので、「またか」という程度であった。

 ところが、この事件は現地では大変なことになっていたのである。ともかく、あまり行きたがらない案内人に「南坪まで行こう」と言ったら、それなら「朝4時に出発しましょう」と言うことで出発した。まだ夜の帳(とばり)が下りており、暗闇の中を南坪に向かったが、このような経験は初めてである。2時間近く走って夜も明けてきたころ、運転手が「あそこの部落を見てください」と言うので、前方を見たところ、小さな部落の中の4~5軒の民家に閃光(せんこう)を発するものが見える。夜明けの明るさにさらに煌(きら)めく光である。

 すかさず運転手が「あの光の見える民家の辺りで、北朝鮮から脱走して来た兵士が複数の民家に押し入り、強盗をして回りながら銃で住民4人を殺害し、1人が負傷した民家だ。早く写真を撮るなら今だ。朝早くだから誰も見ていない」と急(せ)かすので、ビデオの撮影はできず(この部落の付近に近づく前に、ビデオを座席の下に隠していたので)、インスタントカメラで慌てて何枚か写した。

 この部落は吉林省和竜県南坪鎮で事件は昨年12月27日に起き、3カ月が過ぎた今でも検問が厳しいという。案内人はこの事件のあった翌日にここを何も知らずに通り過ぎたが、5回の検問を受けており、「もう二度と南坪には行きたくない」と思っていたという。ただし、これは検問が始まるのが朝8時から夕方の6時までなので、この時間帯を避ければ検問に逢うことはないという。朝4時に出発した理由はこれで分かったが、あの白色の閃光を放つのは監視カメラであったが、夜明けの明るさよりもまだ明るい光に見とれている暇もなく、南坪の駅に向かった。

 南坪駅に到着すると(駅舎には近づけない)案内人はすかさず「ここが一番検問が厳しい所」と言って車をゆっくり走らせ、中から写真を撮るようにと言い、私が2~3枚撮ったらすぐに車を急発進させた。100㍍くらい先にこちらを見ている人物がいたが、追いかけてくるような気配はなかったので安堵(あんど)したら、案内人が「8時前までに検問所を過ぎなければならない」と言う。

 なぜ、これほど検問が厳しいかと言うと、この付近では前年9月にも北朝鮮から逃亡してきた男が民家に押し入って、60代の夫婦とその息子を殺害し、携帯電話や現金を強奪する事件が起きていた。地元の政府(役所)は国境警備を厳重にしていた矢先の事件であり、この事件をひた隠しにしてきたが、12月に起きた事件を韓国のマスコミが大々的に報道した時に、合わせてこの9月に起きた事件も明るみに出たのである。

 私も何年か前に、この付近の部落で昼食をとっていた時に、食堂の主人に地元の警備隊から「そちらに韓国人の男が2人行かなかったか」と電話がきたのを見ているが、地元の政府や警備隊などは、このような事件が起きたことを外国人に知れ渡ることを嫌い、「こんな辺境に来る外国人は徹底的に監視し、通報するように」という御触れが出ており、私もこの付近では何度も検問に遭っているが、決して気分のいいものではない。

 案内人が恐れたのも「なぜ、こんなところに外国人を案内してきたのか」と、詰問され、それこそ痛くもない腹を探られるからであった。この南坪鎮付近はマツタケの産地としても知られているが、「マツタケ料理に舌鼓を打つ間もなく」部落の前にある検問所の前を通り過ぎる時には、まだ8時前ということで検問の軍人は出ていなかったので、事なきを得て延吉に帰ってくることができた。

 案内人が「延吉の人は先生とは会いたがらないよ」と言うので、「なぜ」と聞くと、「先生と会って話したりすると、日本のマスコミに報じられるから」とのこと。中朝国境での北朝鮮情報の入手も容易なことではない。

(みやつか・としお)