男性既婚者の叙階公認を、バチカン公会議が提言
ローマ・カトリック教会総本山、バチカンで3週間にわたって開催されたアマゾン公会議は10月26日、最終文書を公表して閉幕した。注目は、「遠隔地やアマゾン地域のように聖職者不足で教会の儀式が実施できない教会では、司教たちが(ふさわしい)既婚男性の聖職叙階を認めることを提言する」と明記されていることだ。
(ウィーン・小川 敏)
遠隔地の聖職者不足に対応
アマゾン公会議ではアマゾン地域の熱帯林の保護、アマゾンの原住民の権利保護などのほか、女性聖職者の容認、既婚男性の聖職叙階問題が集中的に協議された。
「既婚男性の聖職叙階」は独身制廃止を目指すものではなく、聖職者不足を解消するための現実的な対策の印象はいなめない。実際、最終文書は「聖職者の独身制は神の贈り物」と改めて強調する一方、「多様な聖職者は教会の統一を削(そ)ぐものではない」と説明している。会議では南米教会が「聖職者不足で礼拝を主礼する神父がいなければ、信者たちの教会離れを加速させる」と強い危機感を表明した。
会議の提言が、世界に12億人の信者を有するローマ・カトリック教会すべてに適応されるわけではないが、欧米教会の改革派を鼓舞し、独身制廃止への要求が一層高まることは必至だ。既婚男性の「聖職叙階」提言は、聖職者の独身制廃止への第1弾と受け取られ、独身制が近い将来、廃止されるのではないかといった期待の声が聞かれる。欧米教会では家庭を持っている常任助祭が聖職を代理行使する場合があるが、アマゾン地域の教会では助祭制度が定着していない。
バチカン法王庁のナンバー2、国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿はイタリアの日刊紙とのインタビューの中で、「聖職者の独身制について疑問を呈することはできるが、独身制の急激な変化は期待すべきでない。教会の教義は生き生きとしたオルガニズムだ。成長し、発展するものだ」と述べ、独身制の早急な廃止論に釘(くぎ)を刺したことがある。
だが、独身制に関する神学的な裏付けがあるのかというと、これは厳しい。旧約聖書「創世記」を読めば、神は自身の似姿に人を創造され、アダムとイブを創造した後、彼らに「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」(第1章28節)と祝福している。独身制は明らかに神の創造計画に反しているわけだ。野生動物学のアンタール・フェステチクス教授は、「カトリック教会の独身制は神の創造を侮辱するものだ」と言い切っている。
キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の多くの聖職者らは、特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡(さかのぼ)る。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由があったという。
ローマ・カトリック教会の聖職者の独身制は教義(ドグマ)ではない。「イエスがそうあったように」、イエスの弟子たちは結婚せずに聖職に励むことが教会の伝統と受け取られてきた。近代神学の権威者、前法王べネディクト16世は、「聖職者の独身制は教義ではない。伝統だ」とはっきりと述べている。
生前退位したべネディクト16世の後継法王、南米出身のフランシスコ法王は就任以来、独身制の見直しをたびたび示唆してきたが、バチカン内の保守派の抵抗に遭ってこれまで実施できずにきた。
フランシスコ法王は年内にもアマゾン公会議の提言について最終的な立場を表明する予定だ。