揺らぐヨハネ・パウロ2世の伝説
ポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月~2005年4月)の伝説が揺れ始めている。直接の契機は、米ワシントン大司教だったマカーリック枢機卿(すうききょう)の性犯罪を隠蔽(いんぺい)していたのではないかという疑惑だ。「バチカンは同2世の列聖をなぜ急いだか」という疑問とも関連し、バチカンは同2世をめぐる「不都合な事実」で防戦を強いられてきた。
(ウィーン・小川 敏)
枢機卿の性犯罪を隠蔽か
列聖の道閉じる前に最短で聖人に
故ヨハネ・パウロ2世は、455年ぶりに非イタリア人教皇として第264代教皇に選出された。選出当時58歳と20世紀最年少の教皇だった。冷戦の終焉(しゅうえん)に貢献し、その行動的なローマ教皇は時代の寵児(ちょうじ)となった。旧西独のシュミット首相(当時)は「彼となら話ができる」と語ったと言われている。そのヨハネ・パウロ2世は2014年4月27日、死後9年目という歴代最短の列聖審査を経て、故ヨハネ23世(在位1958年10月~63年6月)と共に列聖された。
ヨハネ23世の場合、亡くなって50年以上かかったが、ヨハネ・パウロ2世の場合はわずか9年。異常に早い列聖であることから、教会の一部では、「早過ぎたのではないか」という声がこれまでもくすぶっていた。ここにきて「その声」が大きくなってきたのだ。
カトリック教会で聖人となる道は平坦ではない。聖人の前に福者のハードルが控えている。それを通過した人が聖人への審査を受ける。福者になるためにも、その人物が何らかの超自然的現象、例えば、病を癒したといった奇跡の証しが必要となる。少なくとも2人の証人が必要だ。そのハードルをクリアして福者入りする。列聖の場合、さらに2件の奇跡の証人が必要となる。例外は殉教者だけだ。
例えば、ヨハネ・パウロ2世の場合、2011年5月に列福されたが、バチカンの奇跡調査委員会は、フランスのマリー・サイモン・ピエール修道女の奇跡を公認している。彼女は01年以来、ヨハネ・パウロ2世と同様、パーキンソン病で手や体の震えに悩まされてきたが、05年6月2日夜、亡くなった同2世のことを考えながら祈っていると、「説明できない理由から、手の震えなどが瞬間に癒された」というのだ。もう一つの奇跡は、コスタリカの女性の病気回復だ。
ところがここにきてヨハネ・パウロ2世の列聖に疑問を呈するファイルが出てきた。バチカンは11月10日、性的虐待の罪で還俗させられたテオドール・マカーリック枢機卿(元米ワシントン大司教)が行った性犯罪の調査報告ファイルを公表した。460ページに及ぶファイルの中でヨハネ・パウロ2世のミスが浮かび上がってきた。マカーリック枢機卿が性的犯罪を犯した時期、ヨハネ・パウロ2世はローマ教皇だった。同枢機卿は1990年代にワシントン大司教に任命され、2000年に枢機卿に上り詰めたが、これは当時教皇だったヨハネ・パウロ2世の決定に基づいていたのだ。
この「不都合な事実」は「偶然」といって一蹴できない。同2世はマカーリック枢機卿の不祥事を耳にしていた可能性が考えられるからだ。知りながらも、教会の名誉と威信を守るために隠蔽していたのではなかったか。実際、カトリック教会の聖職者の性犯罪はヨハネ・パウロ2世の27年間の治世時代に最も多く発生しているのだ。
その他、ヨハネ・パウロ2世は生前、母国ポーランド出身で米国居住の哲学者である既婚女性と懇意な関係があったことが明らかになっている。それを裏付ける同2世と女性の間で交わされた343通の書簡と多数の写真が見つかっている。
バチカンは同2世の列聖を急いだ。それは「不都合な事実」が明らかになれば、同2世の列聖の道が閉じるからだった。