避けられたウィーン銃撃テロ
ウィーン市中心部でイスラム過激派テロリストによる銃撃テロ事件が発生して16日で2週間が過ぎた。犠牲者4人、23人の重軽傷者を出した銃撃テロ事件はオーストリア国民に大きなショックを与えた。事件の捜査が進むにつれて、「事件は回避できた」ことが明らかになり、クルツ政府は説明責任に追われている。事件の全容解明のため専門家による調査委員会が設置されたばかりだ。
(ウィーン・小川敏)
連絡ミスで実行犯泳がす
説明責任に追われる政府
ウィーン銃撃テロ事件の実行犯は20歳の北マケドニアとオーストリアの2重国籍所持者だった。2018年、シリアでイスラム過激テロ組織「イスラム国」(IS)に合流するためトルコに入ったが拘束され、昨年1月にオーストリアに強制送還された。同年4月、テロ関連法違反で1年10月の禁錮刑を受けたが、同年12月に早期出所した。刑務所内での更生プロジェクトに積極的に参加し、「イスラム過激主義から決別した」と判断されたからだ。
出所した犯人が更生支援グループの助けで住居の提供を受け、一定の経済支援を受けて生活していた。犯人がその牙を剥(む)き出すのは今年7月だ。ドイツとスイスから来た4人のイスラム過激派と合流、ウィーン22区の実行犯の自宅で会合している。その直後、銃弾を購入するためにスロバキアに行ったが、武器所有パスを持っていなかったために失敗。そして11月2日夜の銃撃テロとなる。実行犯はオーストリア内務省所属の特別部隊WEGAによって射殺された。
事件の捜査が進むにつれて、銃撃テロ事件は少なくとも2回、事前に実行犯を逮捕できるチャンスがあったことが判明した。オーストリア内務省の「連邦憲法擁護・テロ対策局」(BVT)は今年7月、独連邦憲法擁護庁(BfV)が監視中のドイツのイスラム過激派がウィーンを訪問し、実行犯と会合したという情報をドイツ側から入手している。同時に、実行犯がスロバキアに行き、そこで銃弾を購入しようとしたとスロバキア内務省から連絡を受けている。しかし、BVTは司法省に連絡せずに実行犯を自由の身にしていた。その間、スイスからも同国の2人のイスラム過激派がウィーンで実行犯と接触したという情報を得ていた。20歳のテロリストはドイツ、スイスのイスラム過激派と接触していたわけだ。事件は単独犯行だったが、その背後にイスラム過激派ネットワークがあったことが明らかになった。
オーストリア側は今年7月の段階で、早期出所した実行犯を再逮捕できたはずだ。事件後、ウィーン銃撃テロ事件の責任を取って、ウィーン市憲法擁護、テロ対策局(LVT)の責任者が辞任したが、野党からはネハンマー内相の辞任要求が出ている。
ネハンマー内相は「自由党のキッケル氏が内相時代、BVTへの手入れなどを実施し、情報機関の機能を混乱させてしまった。そのため、外国情報機関との情報交換などがスムーズに行かなかった」と説明、極右党「自由党」のキッケル内相時代の後遺症で、BVTは情報機関として機能できない状況が続いてきたと報告している。
クルツ政権の事件後の対応は素早かった。事件発生4日目の6日、実行犯がコンタクトしていたウィーン市12区と16区の2カ所のイスラム寺院、文化センターの閉鎖命令を下した。同寺院はイマーム(イスラム指導者)が信者たちに過激な説教をしている寺院として有名だった。
9日早朝には、ウィーン市(特別州)、シュタイアーマルク州、ケルンテン州、ニーダーエストライヒ州の4州でイスラム根本主義組織「ムスリム同胞団」とパレスチナ人のイスラム根本主義組織「ハマス」の60カ所の拠点、住居、店舗、事務所への一斉捜査が実施された。
そして11日には「アンチ・テロ・パッケージ」が発表された。狙いは従来のテロ対策で欠落していた部分を強化し、イスラム過激派の壊滅に乗り出すことだ。例えば、刑務所から出所したイスラム過激派に対するGPS監視用電子装置の足輪(アンクレット)の導入、イスラム過激派の2重国籍の廃止、テロ担当検察官の設置、テロ関連法で有罪判決を受けたイスラム過激派には自動車免許の禁止、武器所持禁止、テロ対策での関係省、部門間の情報交換の促進が挙げられている。12月には国民議会で審議を重ねて法制化される予定だ。